朝を迎える
朝が好きだ。
うすく雲が見える程の真っ黒な空から、じわじわと色がでてくる、その時間が好きだ。
まだ空が白んでいる中でも、新聞配達のおじさんは町を走り、早く出勤する人は車やバイクに乗って信号待ちをしている。
道に出れば子供の声がどこからか聞こえ出して、パンが焼ける香ばしい匂いや、ごはんの炊ける匂い、フライパンの音が、重なってくる。
生活が始まることを体感する
朝の騒々しさが好きだ。
朝の匂いが、好きだ。
夏の朝の匂いは、緑の匂い。
朝露で水分を含んだ土と草の葉から、ふわっと緑の匂いがする。
土を踏みしめると、そこからまた匂いがあがる。
草の間、起き出した虫が小さく鳴きはじめる。太陽が昇るころ、蝉が自分の一生をかけて鳴き声を上げる。
冬は、匂いも凛と鋭い。
草も花も、夏に比べて起き出すまでに時間があるよう。みな、日が昇るまで頭を垂れて見えて、自然が香るのは夏より少し先に思える。
冬の街は、誰かが近くで吸っていたのだろう煙草の匂いや、オイル、タイヤのゴムの匂い。何となく、そういうモノクロのものが強く主張している気がする。
生活感といえばそうだけれど、夏のそれとはまた違う。どこか色褪せていて、鋭い匂い。
夏の朝、バス停では今日も暑いねと話す声が聞こえる。
みなすでに薄着なのに額やうなじに汗を浮かべていて、ハンカチで額をおさえたり、上着をぱたぱたさせている。やってきたバスの排気ガスの熱気に、道を通る人は少しうんざりする。
乗り込む人は、いったん車内の冷気に救われて、しだいに「ちょっと冷房強いね」なんてこそこそ話し始める。
冬、バス停では今日も寒いねと話す声が聞こえる。
服の隙間から冬の風が入ってきて、なんでもっと袖口のしまったやつを着てこなかったのか、マフラーを忘れてきたのかと、夏には思わない後悔をする。
隣を見やれば、子供が「寒い」と顔をしかめて母親の手をぎゅっと握っている。
寒さにげんなりしながら、温かさに触れてほっとしながら。そうやって冬が来ていることを体感する。
季節は巡って、太陽と月の交代時間はその季節で変わる。
それでもやっぱり、夜には当たり前のように月が出て、朝になって太陽が顔を出す。
眠っていた草むらの小さな命が、太陽の光を受けて起き出す。
一日は昨日の延長ではなくて、毎日どこかでなにかが生まれている。
朝、それぞれの生活が動き出して、なにかが廃棄されて、生産される。
絶え間ない営みのなかを、わたしは生きている。
年も末に近づき、朝は冬の匂いが次第に強くなっているのを感じる。
道を歩けば隣をかけていく子どもたちの笑い声、それをさとす母親の声。
どんな季節にもぬくもりはある。
なにかを思う優しさは、ときに季節で形を変えること
けれど変わらないものもあることに
ほっとして、幸せを見つけて、そして朝のひとときが堪らなく好きなことを、またそこで実感している。