ありをりはべり

日常のひきこもごも

あいまいでいいよ

私が生息する医療業界はとにかく解を求めるところで、なにがどうしてこうなって、どこに向かうのかを常に議論される。これは良くてあれが駄目、が息をするように存在する世界だ。

でも患者さんの手を握って声を聞けば、家族の話に耳を傾ければ、生きているうちそんな明確な答えを出せることはいったいどれだけあるのだと感じることがある。

複雑さを複雑なまま許容できる場所があるかで、幸せは変わるのかもしれない。

 

いつかの私はもっと解を求めていた。そうすれば幸せに辿り着けると思っていた。分からない怖さに震えながら、解を知ればこの怖さはきっと手放せると思っていた。

でも辿り着けそうになる度に、絶対に掴めない曖昧さがそこにあった。

 

今はこの不安も曖昧さもそのまま抱いて歩いていけたらと思っている。

きっと全部が終わるその時まで、抱きしめている自分でいたい。

 

https://youtu.be/SPW0FZMRO84?si=B9ufZrzUSH7mdddi

やれるかなんて、わからない。

娘が5ヶ月の時、懸命に寝返りをうとうとする姿に、すごいな、できるかどうか分からないのにやろうとするんだ、と妙に感動したことを覚えている。そんなの本能だ、元々備わっているんだと言われそうだしそんな気もするのだけど、なら私だってその本能があるはずだなと思う。

いつしか、やる理由もやらない理由も探して生きてしまうようになり、一歩を踏み出すのも踏み出さないのも考える癖がついてしまった。

もっと心のままに動いてもよいかもしれないな、心は使わないとどんどん使えなくなるのだから。

福祉

福祉の現場を見ていると、共依存にならぬよう注意せねばならない瞬間がよく訪れるものだと思う。働く人も少々闇を抱えている人が多くて、表では笑顔でもバックヤードに入れば空気がずっしり重いことも少なくない。

助け、助けられる関係は自然発生的でない限りは人の心を蝕んでしまうのかもしれない。

この数年の間の全体主義的な世の中のことを思うと、特に「善いことをやっている」感覚は危ういのだと思う。

私はなるべく、何が善くて何が悪いのかをジャッジしないようにしている。それを決める側になればきっと、私は自分にもコントロールできないような力を得てしまうだろう。

迷いは、私をここにつなぎとめる。願わくばずっと迷っていたい。決められない自分ですらも、それでよいのだ。

目の前にいるその人が、本当はどんな人で、何をしたいか。知りたいし、知らないでいたい。どんな力も及ばない何かがあるのだと、信じていたい。

太陽

感じることや歌うことや泣くことを、封じ込める時間があまりに長すぎた。心をどうやって動かして良いのか、そして本当にここは動かして良い場所なのか…まずそこから考えるようにもなってしまった。

電車には大勢の人が乗っていて、交差点ではさらに沢山の人たちとすれ違う、それなのに、どこまでも孤独。誰もが誰も見ていない。小さい子供が泣いているのを見て眉をひそめる大人、うるさい、と誰かが呟くこと。

 

深呼吸できるのは緑の中だけだ。

 

でも本当は沖縄の、あの鮮やかすぎる緑をいつも求めている。精一杯生きている、太陽みたいなエネルギーを感じる緑。

沖縄の人は優しいとよく言われるんだけれど、優しいというよりも情熱的なのだと思う。もっとも、ずっとそこに暮らしていればそれが当たり前になるのだが。まるで住まう人たちが太陽のように。

 

太陽。

私は太陽を探しているんだな。

水がどこにあるのかも見えないような、砂漠のなかで。

忘却

ある病院で働いていた頃、1時間しっかり取れる休憩中、頭の中を駆け巡るのは同じ部署で働く年上の人たちからの叱責や嘲笑だった。ぼーっとしていてはいけなかった、すべてがその暗い渦のなかに引きずり込まれてしまうから。

慌ててスマホを出して、食事をしている間すらも興味もないニュースを見てやりすごした。それほどに何もない時間が怖かった。

あの頃は喘息が悪化しており、発作時の薬を上限まで使っても治まらないほどだった。咳をすれば患者さんからクレームが入り、同僚の人たちから更に陰口を言われるだろう。発作が出そうになったらバックヤードに行き、ハンカチで口を押さえていた。隠れなければ、やり過ごさなければ、これまで何人も辞めて行った人たちのように、私も居場所を無くすのだ。

よくあそこで持ち直して現場に戻れたものだ…と思う。

けれど終わりは突然にやってきて、私は壊れそうな自分をぎりぎりの所で繋いだ。

 

あれから一年が経った。

もう息も苦しくない。バッグには、ほぼ出番がなくなった発作時の薬がとりあえずのお守りで入っているだけ。何年かぶりに本を読む時間も持てている今、しずかな時間、本を閉じて作者のことを、書かれている人たちのことを考える。ぼんやりとしたその時間が怖くない。涙が出そうなほどに、いとおしい。

責められる怖さから逃げようともがいていた私は、本当は何がしたかっただろう。

お昼休憩、ざわざわと騒がしい食堂。死んだ目でスマホを見つめながら、味わうことすら忘れて冷えたお弁当を口に運んでいた。

あの時の私に読んでほしいと思う本が、沢山ある。未来から過去の自分を助けに行けたらいいのに、とそんな願いすら思えること。本当に、よかったのだ。

 

 

 

 

かぼちゃ、産まれる

「初産でこのスピードは、スポーツ選手並ですよ!」
と、助産師に言わせると、私のお産は相当な安産だったらしい。

初産は、通常は陣痛開始から出産まで10時間以上かかるといわれているそうなのだが、私はその半分程度であった。
しかし代償として、本来は段階的に強くなっていくはずの陣痛が、ジェットコースターのごとく急激に増幅するという地獄を見た。
前日からじんわり腰の重たさを感じ、陣痛かもしれないので念のために来院した3時間後、私は分娩室で悶絶することになったのだ。
陣痛の痛みは、例えるなら激しく下すときの腹痛(汚くて申し訳ない)×10000倍といったところか。
鶏肉であたり、血が出るほど腹を下して苦しんだことがあったが、あんなもの可愛いものだった。
出産は、骨と肉をめりめりと押し上げながらかぼちゃが出てくる、そんな感じだった。
出す、ではなく出る、である。私の意志と関係なく、外へ外へと自分で出てこようとするのだ。隙間などほぼ存在しないのだろう所を、強烈な力をもってして、想像以上の痛みを伴って突破しようとしてくる、恐怖すら感じた。
ここで助産師が「まだ子宮口が完全にあいてないので、待ってください!!」と出てこようとする赤ん坊の頭を押さえるので、そんな無茶な…と泣きたくなった。

陣痛のあまりの痛みに歯をくいしばり、息を止めると、モニターに表示される赤ん坊の心拍がゆっくりと落ちていくのが見えた。危ない、と思うと同時に、「赤ちゃんが苦しいので、しっかり息をしてください」と声がかけられる。

息?息ってどうやって吸うんだっけと、半ばパニックになりながら、あー、とかうー、とかうめき声なのかよく分からない声を漏らすので精一杯だった。ヒッヒッフー等、到底無理である。

激しい陣痛の波が押し寄せ、思わず息を止めるたびに、赤ん坊の心拍は下降し、わずかに息を吐くと上昇を見せた。痛みを紛らわすために、ベットの柵に自分の頭を何度も打ちつけ、付き添う夫の胸もとを手で叩いた。夫はとうとう気が狂ったかと思っただろう。

まだ見ぬ赤ん坊が、不憫でたまらなかった。

この子は、親の勝手な都合でこの世に誕生するのだ。まだ世界を見る前から、心拍が落ちるほどの苦しみを味合わせられて。
自身が産まれたくて産まれてくるわけではないのに。そして親すら選べないというのに。

せめて自分だけは、この子を守らなければと思った。その感覚は愛情などといった綺麗なものではなく、最低限の義務として強く思った。

今思えばそれが、後に訪れる母性の芽生えに繋がったのかもしれない。


「はい!良いですよ!いきんでください!」と助産師が声をかけ、かぼちゃが道を突破し、産声をあげるまでの時間は本当にごく僅かで。

すごいな。
この子は、誰に教わるでもなく、この世界で息をする方法を一瞬で習得できるのか。とぼんやり思い、ただ、感動した。







それから生後1ヶ月までの期間はあまりに慌ただしく、記憶が曖昧である。

再会

約一年ぶりに、ブログを書いてみようとログインを試みるも、何度も無残に弾かれた。
IDもぎりぎり覚えているかどうかといった状態だったので、無理もないだろう。
無機質な白い画面に浮かぶ「もう一度やり直せ」とのメッセージに、発光する画面の向こうから「私のこと、忘れてた癖に」と責められているように感じた。

半ばあきらめ、この数ヶ月はブログを読む側に徹した。その中でとても美しい文書に出会い、さあコメントでも書いてみようかと、物は試しにログインボタンを押してみた。すると、拍子抜けするほどにあっさりと、いままでぴったりと閉ざされていたドアが開いた。

ひどい、と思った。

気まぐれな猫を飼ったら、きっとこんな気持ちだ。
否、猫はアレルギーなので飼えないのだけれども。

かくして私は、この扉を開ける鍵をまた手に入れることができた。
今度は、無くさないようにしなければ、、

いつそっぽを向くか分からない猫を前に、いや、まずは自分のだらしない性分に、ほんのわずかに、手に汗が滲む。