ありをりはべり

日常のひきこもごも

2016-01-01から1年間の記事一覧

水嶋さんのはなし

「水嶋さん、元気かな」 先日、職場の手洗い場を使っている最中そんなことを思った。銀色の蛇口から出た冷たい水が、指の間を流れいく。 シャワーや蛇口から流れる水、排水溝に流れる水、トイレの便器でぐるぐると渦を巻いて流れる水。 水を見ると思い出す「…

性分、

人と話すことが苦手だ。緊張してやたらにどもるし、説明を求められる場面では正直逃げたくなるときもある。 好きと得意は必ずしも関連しないというのはきっとこういうことで、人と話すこと自体は好きだ。 調子が良いとちょっとその辺で出会ったひとなどにも…

拝啓、

3か月ほど前から、文通を始めている。 千葉、宮崎、東京に住む3人の女性と週1回から月1回。それぞれでだいぶ開きはあるものの、お互いの時間の合間でやりとりをしている。 文通をやろうと思いたったのは、ある日、棚整理の際に使っていないレターセットが…

式日

「女の子は、綺麗でいないとね」 普段口下手な祖母が繰り返し口にしたのは、女性にとって、身だしなみを整えることがいかに重要であるかということだった。 当時私は中学生で、友達に教えてもらいやっと眉毛のそり方を覚え始めたとろ。祖母は私の残念な眉毛…

子供のくせに

子供のくせに、と言われることが、子供のころは本当にいやだった。 あらゆる失態の原因や大人の言う不都合な事実を、年齢を根拠に言われてしまう。 幼い私は、自分は幾つだからまだ不十分なのだ、と思うことに非常に憤りがあった。やっと、ちょっとは大人を…

遠い日は二度と帰らない

音楽においては、スタート(幼少期)こそ忌野清志郎とツェッペリンだったが、その後は普通に邦楽ロックなどを聴いていた。休みを取ってはフェスに行っていたし、ライブハウスで飛んだり跳ねたりヘッドバンキングするのが好きだった。だった、といってもほんの…

胸の振り子

中学生のころまでは、学校であがた森魚とかたまとか言っても通じる人なんてひとりも居なかった。だから高校生にあがったばかりの春、私の好きな音楽を私以上に語れる彼に出会えたのは、やはりとてつもなく幸運なことであったのだと思う。 彼はバンドマンだっ…

大丈夫の乱用

麗らかな午後、那覇。 今日も救急車のサイレンが街中に響く。「昼間っから大変だねぇ」と私と同じように信号待ちをしていたおばさんが口の端をにっと上げて言う。 笑っているのかと思ったけれども、見れば紫がかった眉墨は八の字になっていて、唇は小さくわ…

赤ん坊

2014年11月、酷い寝不足で迎えた朝はやはり最悪だった。 都会をすこし離れたところにあるその駅のホームには、スーツを来た男性が数人と、着飾った綺麗な女性が何人か。 電車が近づいていることを知らせるアナウンスとともに、赤ちゃんを抱いた女性がホーム…

煎餅が、すきだった。

ほんとうは、煎餅会社に就職したかった。 じいちゃんばあちゃんこで、小さいころから祖父母の家に通っていた私は、中学、高校になっても学校帰りには必ずと言っていいほど祖父母の家に寄っていた。いつもちゃぶだいの上にちょこんと鎮座する菓子箱を開けるの…

書くこと

最近は若くして亡くなるひとを目にすることが多い。勿論年齢問わず色々なひとの、最期或いはその間近であるときを同じ空間で過ごすことは多いのだけれど。どうしてだか冬は、まだ昨日まで仕事をしてましたとか、最近結婚したばかりだとかいう、生活のエネル…