ありをりはべり

日常のひきこもごも

雨と、音楽

 

 

 

今年は、例年よりもずいぶん遅い梅雨入りとなった。

 

イレギュラーな事態としてGWは晴れ、その大型連休が過ぎ去り一週間ほどでやっと、今年もよろしくどんより曇り空にじめじめとした湿気がやってきた。

 

梅雨は天候のせいで気分まで落ち込むようで、なかなかこの季節が好きだという人には出会ったことがない。

 

私はというと、やはり肌がべたつくやら服がぬれるやら洗濯物が乾かないやらの理由で、そう好みではないわけだが。

しかし雨そのものはむしろ好きで、梅雨は苦手といいつもなぜか外に出かけたくなってしまう。

 

降りしきる中傘をさして道を歩き、傘の上で雨粒がはじける音を聴きながら、足を踏み出すたびに足元で上がる幾つもの細かなしずくと、水面が揺れるさまを見る。

 

頬にあたる空気は、冬のそれとはちがった湿りけを交えた冷たさを持っていて。

なんだかそれが、冬でも夏でもない季節の真ん中を感じさせて、ちょっとした特別感があるようで心地よい。

 

勢いよく斜めに走る雨粒が、待ちゆく人のさす色とりどりの傘を雨独特の白へ染めていくさまも、なんとなくいつも見入ってしまって。

自然はすごいなぁとなんだか感動してしまったりする。

 

雨粒など、当たってしまえばすぐにはじけてしまう、存在していた形のまま手に持つこともできない脆いものだ。

けれど自然の不思議が、それを脆いと思わせない。

 

梅雨は、雨の織り成す景色とその存在感をひしひしと伝えてくれる季節であると思う。

 

そしてそんな少々特殊な時期は、通勤途中で聞く曲も自然と雨の似合う曲などを選んでいる。

先日も車内である曲を聴いていたのだが、あぁこの曲は雨だ、とあいていた本棚にぴったり入る本を見つけたような気持ちになった瞬間があった。

 

 

雨に似合う曲、皆はどんな曲を思い描くだろうか。

 

......個人的に、友人の選曲なども参考に、雨に聞くオムニバスなんか作りたいなと思いを巡らせてみる。

 

では、今日も窓の外より雨粒の音を聞きながら。

 


The fin.- Night Time - YouTube

 

暮らす

3月はじめごろから、色々と縁があって同棲のようなものがはじまっている。


これまで一人で営んでいた生活に、他者の生活が重なると言う、日常でありながら非日常な日々。

食事は自炊が殆どとなり、外食だらけだった私の生活はそれだけでもがらりと変化を見せた。

仕事終わりの、もはや日課のごとくな悩み「今日は何を食べにいこうか」が
「今日は何を作ろうか、否、作れるのか」
に変わるということ。

元々料理は好きだったし、そう作れる品目が少ないとは思っていなかったが
そんな勘違いは一ヶ月ほどで撤回され、いまやクックパッド先生には頭が上がらない状態である。

そして食べるのが自分だけではないと言う妙な責任感から失敗することが怖くなり
ときにそれが空回りしてわけのわからない間違いをしたりする。

実家の母はやや特殊な感性で創作料理を披露するひとだけれど、あの冒険心すらもちょっとだけ、羨ましい。


びくびくしながらキッチンに挑む毎日は
毎日が「ちゃんとできるのか」といったまるでテストみたいで、たまに疲れてしまうのが正直なところ

だけれど
料理の過程にあるほんの少しの期待に出会うたびに
綱渡りの末の食卓も、なんだかんだでやはり毎日の楽しみなのだ、と思う。

湯気を目の前にして向き合う相手の顔が、ふわりと緩んでいくのを見て
小さな緊張の糸がほどけてゆく。

繰り返されていく日々のなかにある
これまでにはなかったなにか。
幼い子供のように、日常の隅っこにさえ一喜一憂する毎日は、それだけで楽しい。



この間みたテレビの街頭インタビューでは「夫と過ごす休日が苦痛」だとか「家に帰ってこないでほしい」とか
なかなかシビアや主婦のかたがたの声が聞かれた。
この生活がこれからも続いていったとして、いつかわたしもそうなるのだろうか。


お昼時、ピーマンの肉詰めをつくろうと思い立ち、タネをこねる過程でふと思い出されたそのテレビ画面。
あのとき写し出されていた主婦は、笑いながら夫への不満を話していた。
けれどふと自分の隣を見やれば、せっせと切ったピーマンに小麦粉をまぶしてくれている彼がおり

たぶんそのとき私は笑ってしまったのだけれど

きっとテレビで見た主婦の方とは違う、気の抜けたようなだらしない笑顔だっただろうと思う。


まだ、私にとって毎日の食卓は小さな緊張の連続で

期待と不安が混じりあった湯気のなか
ただいまと言う声に、おかえりと答える一時を

気づけばいつも心待にしている。




頼りない日々を手繰りよせて、少しでも、確かな繋ぎ目をつくれたら。

もやのかかったそのむこう


小さくもあたたかな、夢を描いている。

アニミズム

見方を変えれば、目に写る景色はいくらでも変化できること
忘れはじめたのは、いつごろだったか。

仕事帰り
自分の足下を走る、横断歩道の白い線
等間隔に並ぶその白線を、横に走っている、と認識したのはいつごろだっただろう。

振り返れば小さいころ
私はとにかく頑固で、周囲がここではないよ、と諭す言葉を素直に聞きいれない子供だった。いつも、どこか日常の隙間には自分の感性で捉えた「絶対」があって、それを覆すには子供なりの理解力で納得できる理由が必要だった。
幼なさが繰り出すなぜに続くなぜを前に、大人はいつも困り顏だった。そのくせ答えてもらってもなかなかうんとは受け入れないのである。きっとかなり偏屈で面倒な子供だっただろう。


特に理解に苦しんだのは縦と横の概念だった。
縦線と言われる線は見方を変えれば横線だし、横線もそのしかりで。さらに斜めから見ればそれは斜線なのだ。

小学生のころ登下校で渡る横断歩道の白線は、横断歩道の信号へと並ぶ横線ではなく。その横を見遣ったところの、交差点の信号へと向かって横一列に並ぶ、縦の線に見えた。
白線はまるで、週一回の朝会で校長先生に体を向け整列する、そのころの私たち小学生のようで。


交差点の信号を前にずらり並ぶ白線は、朝日と夕日の淡さも強さも備えた日の光を受けて、ただそこにあるだけで勇ましく見えたのである。


アニミズムという言葉を知った時、自分の感性で捉えたそれらがひとつの言葉に収まってしまうことに、衝撃を受けた。

小さいころ、私の生きる日常は数え切れないほどふわふわした捉えようにないものに溢れていて、見方を変えていくらだって違うふうに見えたのだ。

無機質なものに時に息遣いを感じるとき。思えば小さいころからやたら空想ばかりしていた理由はその面白さにあったのかもしれない。
そこにある不確かさがたまらなく面白くて、なのに不確かさすらもたった5文字で表されてしまうということ。なんとなくそれは、値引きされた商品を前にしたときのような気持ちに似て、少し侘びしかった。


いくらも言葉を覚えていない私は、自分の感覚だけが物事を吸収し解釈する術だった。


大人になって、横断歩道を歩くのと車で走り横切ってしまうのとは、同じくらいの頻度となった。
そうして疑いもなく進行方向が正面で、横断歩道の白線は横に走っているものだと認識している自分がいることに、ふと気付く。

しかし、夕日を背に浴びて灯る、交差点の赤信号。
赤信号の前に並ぶ横断歩道の白線から、一瞬だけ、あのときと同じ小さな違和感と勇ましさを感じたとき


小さいころから変わりなく持ち続けていた感性が、まだ胸の奥に息づいていることを知って、すこしだけくすぐったい気持ちになった。


いつのまにかどんどん大人になっていく私は、いつも何かしらの概念のなかで迷いながら、進むべき道を探していく。
けれど子供のとき常に心のなかにあった、既存の概念に囚われない、言葉にならない感性というものを。削られたりつなぎ合わせたりして形を変えていく私という人間の心のなかに、すこしでも刻みつけられたら。

大人にならなければという思いと、大人になりたいという願望が年追うごとに強くなっている今。

私は追われるように大人を目指しながらも、やはりときには子供に帰れる自分でいたいのだと
暮れ行く町のなかにあって、小さく胸に思ったのだった。

ベクトル

 

時々思うのは、いま自分は人生のどの地点にいるのだろうかということだ。

 

例えば、あと数か月後とか数年後だとかに、大きな事故にあったり病気にかかって亡くなってしまえば、いま生きているこの時間は終わりを目の前にした時、ということになるし

その反対で、もしかしたらなんだかんだで100歳くらいまで生きれるのかもしれない。

 

この先、そう遠くはない未来で大きな不幸が待っていて、自分の人生が180度変わってしまうかもしれないし、ただただ穏やかで幸せな時が流れる数十年があるのかもしれない。

 

未来を思うと本当に果てはなくて、私はあれこれ考えるたびに途方にくれる。

 

そのあまりの途方のなさに、考える意味すら疑問を抱くけれども。いつも懲りもせずプライベートや仕事のあいまで未来について思考を巡らせる自分はいて

それはなんだか滑稽でありながらも、過去の痛い記憶を思い出せば、やはり自分にとってはかけがえのない作業であることを痛感する。

 

明日生きていることの確証などどこにもなくて

気づけば幾重にも重なった偶然が偶然を呼び寄せて

「もしかしたら」はいつだって「もしかしたら」じゃなくなる可能性を持っている。

 

祖母が亡くなった時、大切なひととの別れを知った時「なぜこの人が」とか「なぜ今なのか」という思いが強く湧き上がって、胸が締め付けられた。

そして不変などないのだということを、知った。

 

ゆっくりとあたたかさを取り戻し始めた沖縄。降り注ぐ日差しは、この南の島にしては珍しく柔らかい。道行く人の表情も冬に見たそれとは少し違って、花咲く前の蕾のようなあたたかさをたたえているようにみえる。

散歩の途中、すれ違う子どもが笑ってかけていく。こんな穏やかな日々が少しでも長く続いてほしいと願う自分がいる。

 

未来はいつも不安定で、確証などなくて

本当の約束は、できない。

けれど、小さな現実を繋ぎ止めて、頼りない可能性を思いながらも未来に向かっていくことはできる。

 

いつやってくるかわからない終焉を思って生きることは、見方によっては窮屈そうに思うかもしれない。

だが基本的にマイペースの適当で、難しい問題に向き合うことを避ける傾向の私にとっては、たまに水道の蛇口を閉めてぼうっと天井を見上げるような、そんな時間も必要なんだと思う。

 

見えない明日を思うとき。傍にはいつも、日常の隙間に小さな願いがあることに気づく。そうして何かを願える幸福というものに向き合う。

そして願うことはそれだけで楽しくて

きっと確証などなくても、人は幸せになれるのだと思う。

 

これからの私は、何を願うのだろう。

何と出会い、痛みを知り、笑っていけるだろう。

 

途方のない向こう側にある何か。

 

私はいつだってそれが怖くて、愉しみでならない。

3月の森

先日より、友人(と恐れ多くも呼ばせていただきます…)の展示が始まっている。

 

三月はじめの展示開催から、普段は店主セレクトのジャズの本などが並んでいる白壁は、友人による繊細な切り絵と水彩の淡い色合いで彩られている。

 

冬の終わりへと向かう沖縄、日暮れの空は未だ深い藍色。珈琲やさんに灯るのは夏の夕日のような橙のあかり。

訪れるお客さんの着込む暖色と寒色。

 

季節の間を漂うかのようなその場所に溢れる、

淡い桃色、水色、黄緑色。

 

優しい色彩は情景に溶け合うようにそこにあって

それはまるで、春ってこういうもんだよというような柔らかな温もりを携えている。

 

そんな温かさに包まれつつ、さらには手にしている珈琲のぬくさにもほっとしながら、久しぶりにカウンター席に座り、もの想いに耽る。

 

思えばこの一ヶ月は仕事に忙殺されつつも突っ走って失恋したりプライベートも忙しかった。

けれど落ち着かない生活のなかでも、ふと幾度も思い起こされた言葉があった。

それは異動したてのころ、職場の先輩が私にかけた「本当に楽しくなるには頑張らないといけない」という言葉。

 

慣れない環境で、これまで随分仕事がうまくいかなくて泣いたり、もう辞めてしまいたいとか逃げ道を探したりもした。だが多忙極める今、職場の先輩方からかけられる言葉に温もりを感じるようになった。

それはあたたかな眼差しとともにかけられる、あなたの努力を見ている、知っている。という言葉。

 

必ずしも自分の全力を尽くしたからと言って、それが良い結果になるとは限らず、やはりそれは今の時点の自分はそれまでだということ。

だが振り返ればどの時でも何かに我武者羅で泥臭くて、頑張っている自分というのはいた。

 

私にとってその対象は仕事であり、恋だった。

 

怒涛のような季節を越えて再びやってくる春。昨年日向ぼっこしながら迎えていた春とは少し違う、けれどやっと寒さの緩みはじめた季節のなかで、この先温もりの一層ました春が待っている。

 

そんな確信にも似た予感を抱いている。

 

きっと涙を流したそのときも、冷たさに触れてばかりではなかった。

むしろ温かなものを知っていたからこそ、涙した瞬間があったのだと感じる。

 

柔らかな眼差しや言葉をかけてくれる周囲のひとびとに、

ただひとつの温かさにめぐまれていたからこそ。

 

先日雨上がりの青空を久しぶりに仰ぐことのできた休日、届いたのは兄からの「子供が生まれた」という知らせ。

添付された写真には目をぎゅっとつぶって泣き叫んでいる赤ん坊が写っていた。その柔らかそうな頰に帯びるうすい桃色。赤ん坊を抱く兄のお嫁さんは、優しく目尻をさげて笑っていた。

 

午後、カウンターに座り友人の展示を眺めている時。

先日目に捉えたその温かな色が、友人の彩る色彩に重なった瞬間、なんとも言えない幸福感に包まれた。

 

 

優しい色は、どこまでひとを幸せにできるだろうか。

 

 

窓の外の藍色、店内を包む橙色、彩る桃色。

色彩に包まれて、大切なひとが今日も大好きな場所であたたかに笑っている。

 


もしかしたら幸せはいつも、同じところにあったのかもしれないと。

 ささくれのような記憶を抱きながらも、胸のうちは、あたたかい。

 

3月、大切な友人の描くただひとつの彩りに包まれ

いまここにある春を抱きながら

 




これから訪れる春を、待っている。

それでは夢を見に行こう

今日は、大好きな作家さんの展示を見て
夢、についてふとを思いを巡らせた日だった。







思えば小さな時から怖い夢を見ることが多くて、夜がこわかった。

それはきっと、夜になれば母がよく枕元で聞かせていた自作の小話のせいだ。

「眠れない子のところには、眠りの国から小人がやってきて、夜な夜なその国へと子供たちをさらっていくんだよ。
特に彼らはこんな真っ暗な夜が好きで、闇に紛れて、草影からやってくるんだ」


人里離れた場所で、野原にぽつんとたつ我が家。

夜になればあたりは本当に深い深い闇で、窓の外の闇を背景に語られるそのお話が
私は怖くてたまらなかった。

お話の締めの言葉はいつも「だから早く寝ましょうね」なのだけれど
そんな怖い話を聞いてむしろ寝られるはずがなくて

週一ペースで開催される「夜更かし大好きな私たち兄弟向け(母談)、眠りの国の小人たちのおはなし」会が、本当に嫌だった。



それからだ。

私はよく、得たいの知れないものたちに連れ去られて、はりつけにされたり崖から落とされたりする、そんな恐ろしい夢をよく見るようになってしまった。


大人になってからもそれは続いているらしく(きっとすべてが小話のせいという訳ではないのだが)、 一緒に眠っていた家族が私がうなされているのに驚いて起こしてきたり
隣でねむっていた当時の恋人が、翌日とても真剣なおももちで、昨夜はすごい魘されようだったけれどなにか悩み事でもあるのかと聞いてきたこともあった。


眠りに落ちると暗い海を漂ってばかりで
だから私は、大人になったいまでも、夜がこわい。

大きくなるにつれ、目覚めれば夢の内容は見たうちの何回かは忘れるようになったけれど、朝になれば胸の奥がきりきり痛むので、あぁまたやつがやってきたのだと分かるのだ。





けれども今日、わたしにとってはとてもとても不思議なことに。






夢について考えてみたとき、いちばんに浮かんだのは

いつもうなされている夢のことではなかった。






一番最初に浮かんだのは

先日、バレンタインだからと、家族に手作りのお菓子をつくっていた時間だった。

すこしどきどきしながらラッピングをして、お願いしますと何かを託して
郵便やさんにもっていったこと。


そして
気づけばその日一日を大好きな料理に費やし、一人では絶対に食べきれないほどのおかずをつくったとき。

あぁ、思う存分作ったぞという満足感と
これを一緒に食べたいと思う、大切なひとたちがふわりと心に浮かんだこと。


夢。


今まで呪縛のようだったその言葉のなかに浮かんだのは

なんだかどうしようもないほどに、甘い。
脆いけれども触れればぬくい、泡のような時間で。


ややそんな自分に自分で驚きながら
ここ数日、日常に息づいていた温度をたどり

あぁほんとうは、苦しい、悲しい夢ばかり見ていたわけではなかったのだと、思った。





夢はとても不確かで、でも、胸に迫るものだ。



だからこそ私は、触れえもしない夢の海のなかで
立ち向かうものがなんなのか、わからなければわからないほど、怯えていた。

けれど幸福な瞬間にも同じように不確かさはあって
その不確かさのなかにある胸を叩くなにかに、私はいつも救われていたのだ。

それは他人にしてみればどうってことのないかもしれない

あれをしたい、これをしよう。
と、思うとき
誰かの顔がいつも浮かぶという幸せ。

温かさに包まれた記憶を抱いて
まだ見ぬ形を描く「夢」


夢は、なにも夜だけに見るものではなく
ましてや胸を痛くしめつけるものだけでもなく

おひさまと一緒に、淡い夕焼けと一緒に
眠りにつくその間際にも
同じように、私だけの形をもって、かたわらにあったのだ。


そう思ったとき、夢が、怖いだけのものではなくなった気がした。


とはいえやはり今夜も
布団にはいるのは少しこわいわけだが
昨日とは違って、ほんのすこし温かなものが、胸の奥にある。

こわがってばかりではもったいない。
不確かさのなかにある、たしかな温もりを抱いて
今日という日の終わりを迎えられたら。




今日は本当に幸せな一日だった。

額縁のなかに、空間にとけこむような絵のなかに
まだ見ぬ幸せのかたちを描いた

その出会いに感謝して





これから、私だけの夢を見つけに。





それでは、夢を見に行こう。

好き、を伝える。

 

夜勤明けの今日。

以前古着屋さんで購入したワンピースを着て、行きつけのカフェへ向かった。

 

昨日夜勤中に考えていたのは、買ってからまだ一度も着ていないそのワンピースのことと、次の休日にはそれを着ていつものカフェに行こうという計画で。

 

どんな辛い時でも楽しみなことがあると、やはりいつもの数倍頑張れたりする。結局仕事が終わったのは夜中3時頃だったが、朝9時にすっきり起床だ。

といっても、たくさんの洋服の中から見つけたその一着を、ついに外に着ていくということで朝から若干緊張していた。

果たしてこの一着が自分と馴染むのかという不安。

 

ワンピースはベージュの生地に赤、紺、黄色の刺繍が施されたもの。柔らかなベージュに流れる鮮やかな刺繍に一目惚れして購入した一着だ。

 

素敵なワンピースを前に、袖を通すわくわくと緊張感で胸はざわつく。

そんな日に限って普段適当な化粧を少し頑張り、結果失敗するといういつものパターン。出かける前から案の定予想していたもののつまずいた気持ちになりながら、車を走らせ以前住んでいた海辺の町へ向かった。

 

お店は、入り口前のパラソルが目印の、こじんまりとした店がまえ。ドアを開けるとちりんと入口の鈴が鳴る。 

その音に「こんにちは」と柔らかな笑顔で迎えてくれたカフェのお姉さんとは、もう出会って5年目になる。

 

カフェはすこしアジアンテイストを感じるぬくもりのある空間。さりげなく置かれている小物はビビットな色使いのものがちらほらと見られ、やわらかな色合いのなかでのそのギャップがまた良かったりする。

店主のお姉さんも、いつもシンプルながらセンスを感じるお洋服をつけており、いつかこんなファッションをしてみたいなぁと密かに思ったりしている。

 

いつものようにケーキを頼みコーヒーを飲みまどろむ中で、私はすこしドキドキしていた。

このワンピース、変じゃないだろうか。

行きつけのカフェでの穏やかな時間のなかで、少しばかりざわつく気持ち。

 

だから、お姉さんが あ、と声を出して

私の大好きなやわらかな笑顔で「そのワンピース、可愛い」と言葉をかけてくれた時

ふわっと胸のうちに花が咲いたような気持ちになったのだ。

 

多分、分かりやすいほどにやつき、喜びの声をあげた私に、お姉さんもびっくりしたのではないかと思う。

 

そしてこのときふと思ったのだが、振り返れば、これまでお付き合いした恋人と出かけるときでも、自分の本当にお気に入りのお洋服を着ていくことは少なかった。

なんとなくその人が好きそうな形だとか、色合いだとか柄だとかを考えながら無難なものを選択して着ていたし、いつのまにかそれは当たり前になっていて。

 

本当に好きなもので、すこし奇抜だったり、今日着たワンピースのように気に入りすぎて着ていくのに勇気がいるものは、一人でお出かけする時だけ着ていた。

そういうときは、振り返ればほとんどの場合、お姉さんのカフェへ赴いていたのだ。

 

それは親に、こんないいもの見つけたよと自慢する子供みたいな気持ちで。

もう20も過ぎてそんなこと、と恥ずかしいのだけれど

親にもそんなふうに素直に表現することがない自分が、お姉さんの前ではできるということが、なんだかとても嬉しく感じる。

 

私の憧れの存在であるお姉さんに、つらいときには何度も救われてきたふわっとした笑顔と一緒に、自分の好きなものを同じように好きだといってもらえる、幸せ。

 

なんて素敵なことだろう。

 

そして過去お付き合いしていた人のことを考えてみて、なかなかありのままの自分で向き合っていなかったのだということに気付く。

好きなものを好きと言える、ということはやはりとても大切。

私は5年間もその存在に救われてきていたのに、恋人との関係性において

そこに関連付けられていなかった。

結局のところそこがひずみだったのかもしれないな、といまさら思う。

 

 

 

あなたにこれを見てほしいと思える

誰かにとって、自分もそういう存在であれたら。

 

 

きらきらした表情で、自分の大切な人が目の前に立つ日。

 そんな幸せないつかを夢見て

自分の「すき」と、目の前の相手の「すき」に、向き合っていきたいと、思っている。