ありをりはべり

日常のひきこもごも

夕日

「本日も、沖縄都市モノレールをご利用頂きありがとうございます」

近くもなければ遠くもない。
絶妙な距離と温度感のアナウンスに包まれる、モノレール。

その独特な揺れを感じながら、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

ビルと住宅の合間を、ゆったりと進む。

日曜の夕刻。
下を見やれば、道路に信号待ちの車がずらりと並んでおり
横断歩道には、小さな子供がふたり手をつないで、赤から青に変わる瞬間を足踏みして待っていた。

迷子いぬなのだろうか、どう見ても室内で飼われていそうな美しい毛並みの小型犬が、前日の台風で出来た水溜まりにダイブしている。

その横で、艶やかな黒髪の女子高生が笑っているのが見えた。

台風が過ぎ去ったあとの沖縄は、どんよりとした天気がまだ尾を引いており。夕刻になっても美しい橙は息をひそめ、鈍い灰色が空を染めて、この小さな島国をすっぽりと覆っていた。

それでも、右隣に座っている観光客らしきカップルは、肩を寄せ合い一冊のガイドブックを読み。
今日はあそこ、明日はあそこ、とプランは尽きないようだ。

左隣のおばあさん二人は、台風後の野菜の高騰を懸念しながらも「あるものを適当に使えばなんとかなる」理論を展開してわははと笑っている。

灰色の空の下でも、そこにいる人の顔はみな穏やかであり、ときに笑顔だった。


色彩は気持ちをも塗り替える。

これまで心の芯の部分にあったそんなワタクシ理論は
ものの数分で、空気中に溶けていった。

そうして一瞬だけ、窓の外の景色が、いつか東京でみた町並みと重なったとき。

思えばいくたびに晴れ間であった東京だが、目に写る景色は色鮮やかではなかったと。すこし冷ややかな記憶が呼び覚まされた。

春、夏、秋、冬と季節が巡るのとともに訪れていた東京。駅はいつも人でごった返し、けれどだれも自分以外の誰かをその目に映してはいなかった。

あの頃は、いちばん安心できる場所というのが家族でなければ自分の家でもなく誰かの家でもなく、どこか宙ぶらりんだった。
重苦しい日々の中にあって、けれどため息をつくたびに、何か大切なものが失われるのではないかという切迫感があって
細い糸を手繰り寄せるように毎日を生きていた。

中学生の頃、なんとなしに日本国憲法の本を読んでいて「最低限度の生活」という文面から「生活」という言葉の意味を考えたことがある。

活は活動の活。そして活きる、とも読める。

生が活きる。

中学生の頃のわたしは、生活という言葉の意味に計り知れない奥深さみたいなものを感じて、そして大人になれば、いつかそんな日々がくるのだと夢見ていた。

いま、24歳の私は、休日の今日ゆったりと起き、好きな料理をし、モノレールに乗って行きつけの店へ向かっている。
明日の仕事を思い不安でいっぱいになることもなく、はっきりとは見えない数日後の、 数ヵ月の予定にさえ、心踊らせている。



生活を彩るものとは、なんだろう。

20代も半ばに差し掛かる私が見つけた答えは

色彩でもなく、高価なアクセサリーや珍しい食べ物などでもなく、甘い嘘でもなく

モノレールから見下ろす街中
座った座席の右隣と左隣といった
あっけにとられるほどに身近な場所で生きる人たちの

まなざしや、温かな声のなかにあった。

右隣のカップルは、途中乗ってきた元気いっぱいの小学生をにこやかに見つめ
左隣のおばあさんは、かわいいねぇと、笑っていた。


冷たい風が吹くなかでも、眼に温もりをもって、誰かを映している自分でいたいと思う。


夕刻、曇天のもと。
がたんごとんと、いつかの記憶が音となって耳をつつき

そして、遠くなっていく。


まるで鼓動と呼応するような音を聞きながら
私はどこか、古く自分を知る懐かしい人にでも会えたような気持ちで。




自分のほんとうに大切なものに、向き合い始めている。




赤いあいつと緑のあいつ。

 

 

相変わらずの湿気で蒸し暑い日が続いている。

げんなりしながらも、食材を調達しにスーパーへ向かう。店頭に並ぶトマト、ゴーヤー、おくら等等の色鮮やかなこと。人にとっては殺人的な日差しも、彼らにとっては栄養なのだなとあらためて思ったりする。

 

強い日差しを浴びる日々を過ごして、夏が来たのだ、と思う。

 

今日の昼ごはんは、知り合いのコーヒー屋さんの店主おすすめ「トマトとおくら入りのめんつゆでいただく素麺」

うまいうまいと言いながらあっという間に食べ終わる。野菜になって生まれ変わるとしたら、トマトやおくらも悪くない。そんななんの発展もなさそうな妄想を、冷たい素麺を嬉々としてすすりつつ浮かべる。

素麺に埋もれる氷がまとう、滑らかな光がきれいで、真っ赤なトマトのつるんとしたフォルムは、小さな滑り台みたい。視覚ですでに満たされる15分間。

そういえば小さいころに、自分が蟻だったらトマトの上を滑るのになぁなどと考えたことがあったと思い出す。

結局大きなところはなんにも変っていない、5歳の夏のわたしも、24歳の夏の私も。

 

 

カーテンが揺れて、セミの声が聞こえて

夏が来た、と思う。

 

生ぬるい風が吹く室内、コップに注いだ麦茶に浮かぶ氷が、またひとつぱきりと鳴いた。

 

 

********

瞳の中の宇宙

自炊をはじめてから、毎週かというくらい通っていたコーヒーやさんには、なかなか行かなくなった。

しかし冬にはホットコーヒーが飲みたくなり、夏がくればアイスコーヒーが恋しくなるというのが私のパターンで。

今日は、久しぶりにそのコーヒーやさんへ。

席が隣になったかたもまた、久しぶりに会う常連さん。
にこにこ挨拶を交わしたあと、お店の新作らしいご飯を頂いているのをみて、急激にへリだすお腹。
結局、アイスコーヒーを飲みに来たはずがちゃっかりご飯も食べ、しかもこれまた隣の方が飲んでいたチャイに惹かれ食後の飲み物はチャイ。

当初の目的は空いた穴にすとんと落ちてしまった。

まぁ夏はこれからだし、と先日ラジオから流れていたTUBEを心の中で口ずさみつつ
ゆっくりと暮れゆく空と町並みを見る。

気づけば例年にはない早さでおわりを告げた梅雨。
しかし、沖縄らしい重苦しい湿気は健在で、それはぐんぐん上がる気温と相まって、立っているだけでもじわり汗がでる。
これに強い日差しまで加担したときなど、沖縄にすまなきゃよかったとたまに思う。

時刻は午後7時。とはいえまだまだ太陽は眠るようすはなく、雲の間から時々下界をのぞいている。道行く人も、ややげんなりな表情でにびいろのアスファルトの上をとぼとぼ歩いてゆく。

ぼんやりと外の景色を眺めていると、
音をたててあいた戸から、知っているお顔が一人、また一人。

温かな声で私の名を読んでくれるその人たちは、やはり温もりを携えた眼差しで、お久しぶり、と声をかけてくれた。

うちお一人は、黒を貴重とした服装に映える、白いヘッドホンを持っていて。

もうお一人の方は、これまで殆ど見たことはなかったメガネレスの姿で、白地に暖色の刺繍のはいった可愛らしいワンピースを着ていた。


やはり夏は夏の色彩があるのだなと思いながら
涼やかなお二人に会えて、心のうちに風が吹いたようだった。

特に、普段眼鏡をかけている方の瞳は、印象的だった。
まるで瞳の中に星屑でも散りばめているみたいに、空間のなかの光を、幾重にも映していて。
こんなに素敵な瞳をされていたんだな、と驚いた。

そして、なんだかすこし、こんな素敵なことを今知ったというちょっとした悔しさというか、勿体ない気持ちというか。

けれど、宝物を見つけたときのような、嬉しい気持ちとが
ぐるぐるとない交ぜになって。
そんな不思議な状態に陥る自分には、初めて出会った。


今日、パスタとチャイを真似っこさせていただいた方から教えて貰った星占い。それには、今年は内にあったものを外に放つ激しい変化の年であり、深い愛の年でもあると書いてあった。

深い愛。

今日一日でも、懐かしい人たちに会って、それを目にしたと思う。
生まれも育ちも違う、しかも多分普通の人よりだいぶへんてこりんな私に、優しく穏やかに向き合ってくれる人たち。
そして今日は、その変わらぬ温もりだけでなく。星屑を携える瞳にも出会ったのである。

さまざまな初めましてから始まった2015年。まだ半年もあるのかとやや驚いているが。
これからどんな変化があるのか、それもそれで楽しみなのも事実。

変わらぬものも、変わっていくものも大切にしていけたら。

夏の扉を開き始めた沖縄で、柔らかく涼やかな風を知った今日。瞼の裏に残る星屑を思いながら、しずかにそう思っている。

雨と、音楽

 

 

 

今年は、例年よりもずいぶん遅い梅雨入りとなった。

 

イレギュラーな事態としてGWは晴れ、その大型連休が過ぎ去り一週間ほどでやっと、今年もよろしくどんより曇り空にじめじめとした湿気がやってきた。

 

梅雨は天候のせいで気分まで落ち込むようで、なかなかこの季節が好きだという人には出会ったことがない。

 

私はというと、やはり肌がべたつくやら服がぬれるやら洗濯物が乾かないやらの理由で、そう好みではないわけだが。

しかし雨そのものはむしろ好きで、梅雨は苦手といいつもなぜか外に出かけたくなってしまう。

 

降りしきる中傘をさして道を歩き、傘の上で雨粒がはじける音を聴きながら、足を踏み出すたびに足元で上がる幾つもの細かなしずくと、水面が揺れるさまを見る。

 

頬にあたる空気は、冬のそれとはちがった湿りけを交えた冷たさを持っていて。

なんだかそれが、冬でも夏でもない季節の真ん中を感じさせて、ちょっとした特別感があるようで心地よい。

 

勢いよく斜めに走る雨粒が、待ちゆく人のさす色とりどりの傘を雨独特の白へ染めていくさまも、なんとなくいつも見入ってしまって。

自然はすごいなぁとなんだか感動してしまったりする。

 

雨粒など、当たってしまえばすぐにはじけてしまう、存在していた形のまま手に持つこともできない脆いものだ。

けれど自然の不思議が、それを脆いと思わせない。

 

梅雨は、雨の織り成す景色とその存在感をひしひしと伝えてくれる季節であると思う。

 

そしてそんな少々特殊な時期は、通勤途中で聞く曲も自然と雨の似合う曲などを選んでいる。

先日も車内である曲を聴いていたのだが、あぁこの曲は雨だ、とあいていた本棚にぴったり入る本を見つけたような気持ちになった瞬間があった。

 

 

雨に似合う曲、皆はどんな曲を思い描くだろうか。

 

......個人的に、友人の選曲なども参考に、雨に聞くオムニバスなんか作りたいなと思いを巡らせてみる。

 

では、今日も窓の外より雨粒の音を聞きながら。

 


The fin.- Night Time - YouTube

 

暮らす

3月はじめごろから、色々と縁があって同棲のようなものがはじまっている。


これまで一人で営んでいた生活に、他者の生活が重なると言う、日常でありながら非日常な日々。

食事は自炊が殆どとなり、外食だらけだった私の生活はそれだけでもがらりと変化を見せた。

仕事終わりの、もはや日課のごとくな悩み「今日は何を食べにいこうか」が
「今日は何を作ろうか、否、作れるのか」
に変わるということ。

元々料理は好きだったし、そう作れる品目が少ないとは思っていなかったが
そんな勘違いは一ヶ月ほどで撤回され、いまやクックパッド先生には頭が上がらない状態である。

そして食べるのが自分だけではないと言う妙な責任感から失敗することが怖くなり
ときにそれが空回りしてわけのわからない間違いをしたりする。

実家の母はやや特殊な感性で創作料理を披露するひとだけれど、あの冒険心すらもちょっとだけ、羨ましい。


びくびくしながらキッチンに挑む毎日は
毎日が「ちゃんとできるのか」といったまるでテストみたいで、たまに疲れてしまうのが正直なところ

だけれど
料理の過程にあるほんの少しの期待に出会うたびに
綱渡りの末の食卓も、なんだかんだでやはり毎日の楽しみなのだ、と思う。

湯気を目の前にして向き合う相手の顔が、ふわりと緩んでいくのを見て
小さな緊張の糸がほどけてゆく。

繰り返されていく日々のなかにある
これまでにはなかったなにか。
幼い子供のように、日常の隅っこにさえ一喜一憂する毎日は、それだけで楽しい。



この間みたテレビの街頭インタビューでは「夫と過ごす休日が苦痛」だとか「家に帰ってこないでほしい」とか
なかなかシビアや主婦のかたがたの声が聞かれた。
この生活がこれからも続いていったとして、いつかわたしもそうなるのだろうか。


お昼時、ピーマンの肉詰めをつくろうと思い立ち、タネをこねる過程でふと思い出されたそのテレビ画面。
あのとき写し出されていた主婦は、笑いながら夫への不満を話していた。
けれどふと自分の隣を見やれば、せっせと切ったピーマンに小麦粉をまぶしてくれている彼がおり

たぶんそのとき私は笑ってしまったのだけれど

きっとテレビで見た主婦の方とは違う、気の抜けたようなだらしない笑顔だっただろうと思う。


まだ、私にとって毎日の食卓は小さな緊張の連続で

期待と不安が混じりあった湯気のなか
ただいまと言う声に、おかえりと答える一時を

気づけばいつも心待にしている。




頼りない日々を手繰りよせて、少しでも、確かな繋ぎ目をつくれたら。

もやのかかったそのむこう


小さくもあたたかな、夢を描いている。

アニミズム

見方を変えれば、目に写る景色はいくらでも変化できること
忘れはじめたのは、いつごろだったか。

仕事帰り
自分の足下を走る、横断歩道の白い線
等間隔に並ぶその白線を、横に走っている、と認識したのはいつごろだっただろう。

振り返れば小さいころ
私はとにかく頑固で、周囲がここではないよ、と諭す言葉を素直に聞きいれない子供だった。いつも、どこか日常の隙間には自分の感性で捉えた「絶対」があって、それを覆すには子供なりの理解力で納得できる理由が必要だった。
幼なさが繰り出すなぜに続くなぜを前に、大人はいつも困り顏だった。そのくせ答えてもらってもなかなかうんとは受け入れないのである。きっとかなり偏屈で面倒な子供だっただろう。


特に理解に苦しんだのは縦と横の概念だった。
縦線と言われる線は見方を変えれば横線だし、横線もそのしかりで。さらに斜めから見ればそれは斜線なのだ。

小学生のころ登下校で渡る横断歩道の白線は、横断歩道の信号へと並ぶ横線ではなく。その横を見遣ったところの、交差点の信号へと向かって横一列に並ぶ、縦の線に見えた。
白線はまるで、週一回の朝会で校長先生に体を向け整列する、そのころの私たち小学生のようで。


交差点の信号を前にずらり並ぶ白線は、朝日と夕日の淡さも強さも備えた日の光を受けて、ただそこにあるだけで勇ましく見えたのである。


アニミズムという言葉を知った時、自分の感性で捉えたそれらがひとつの言葉に収まってしまうことに、衝撃を受けた。

小さいころ、私の生きる日常は数え切れないほどふわふわした捉えようにないものに溢れていて、見方を変えていくらだって違うふうに見えたのだ。

無機質なものに時に息遣いを感じるとき。思えば小さいころからやたら空想ばかりしていた理由はその面白さにあったのかもしれない。
そこにある不確かさがたまらなく面白くて、なのに不確かさすらもたった5文字で表されてしまうということ。なんとなくそれは、値引きされた商品を前にしたときのような気持ちに似て、少し侘びしかった。


いくらも言葉を覚えていない私は、自分の感覚だけが物事を吸収し解釈する術だった。


大人になって、横断歩道を歩くのと車で走り横切ってしまうのとは、同じくらいの頻度となった。
そうして疑いもなく進行方向が正面で、横断歩道の白線は横に走っているものだと認識している自分がいることに、ふと気付く。

しかし、夕日を背に浴びて灯る、交差点の赤信号。
赤信号の前に並ぶ横断歩道の白線から、一瞬だけ、あのときと同じ小さな違和感と勇ましさを感じたとき


小さいころから変わりなく持ち続けていた感性が、まだ胸の奥に息づいていることを知って、すこしだけくすぐったい気持ちになった。


いつのまにかどんどん大人になっていく私は、いつも何かしらの概念のなかで迷いながら、進むべき道を探していく。
けれど子供のとき常に心のなかにあった、既存の概念に囚われない、言葉にならない感性というものを。削られたりつなぎ合わせたりして形を変えていく私という人間の心のなかに、すこしでも刻みつけられたら。

大人にならなければという思いと、大人になりたいという願望が年追うごとに強くなっている今。

私は追われるように大人を目指しながらも、やはりときには子供に帰れる自分でいたいのだと
暮れ行く町のなかにあって、小さく胸に思ったのだった。

ベクトル

 

時々思うのは、いま自分は人生のどの地点にいるのだろうかということだ。

 

例えば、あと数か月後とか数年後だとかに、大きな事故にあったり病気にかかって亡くなってしまえば、いま生きているこの時間は終わりを目の前にした時、ということになるし

その反対で、もしかしたらなんだかんだで100歳くらいまで生きれるのかもしれない。

 

この先、そう遠くはない未来で大きな不幸が待っていて、自分の人生が180度変わってしまうかもしれないし、ただただ穏やかで幸せな時が流れる数十年があるのかもしれない。

 

未来を思うと本当に果てはなくて、私はあれこれ考えるたびに途方にくれる。

 

そのあまりの途方のなさに、考える意味すら疑問を抱くけれども。いつも懲りもせずプライベートや仕事のあいまで未来について思考を巡らせる自分はいて

それはなんだか滑稽でありながらも、過去の痛い記憶を思い出せば、やはり自分にとってはかけがえのない作業であることを痛感する。

 

明日生きていることの確証などどこにもなくて

気づけば幾重にも重なった偶然が偶然を呼び寄せて

「もしかしたら」はいつだって「もしかしたら」じゃなくなる可能性を持っている。

 

祖母が亡くなった時、大切なひととの別れを知った時「なぜこの人が」とか「なぜ今なのか」という思いが強く湧き上がって、胸が締め付けられた。

そして不変などないのだということを、知った。

 

ゆっくりとあたたかさを取り戻し始めた沖縄。降り注ぐ日差しは、この南の島にしては珍しく柔らかい。道行く人の表情も冬に見たそれとは少し違って、花咲く前の蕾のようなあたたかさをたたえているようにみえる。

散歩の途中、すれ違う子どもが笑ってかけていく。こんな穏やかな日々が少しでも長く続いてほしいと願う自分がいる。

 

未来はいつも不安定で、確証などなくて

本当の約束は、できない。

けれど、小さな現実を繋ぎ止めて、頼りない可能性を思いながらも未来に向かっていくことはできる。

 

いつやってくるかわからない終焉を思って生きることは、見方によっては窮屈そうに思うかもしれない。

だが基本的にマイペースの適当で、難しい問題に向き合うことを避ける傾向の私にとっては、たまに水道の蛇口を閉めてぼうっと天井を見上げるような、そんな時間も必要なんだと思う。

 

見えない明日を思うとき。傍にはいつも、日常の隙間に小さな願いがあることに気づく。そうして何かを願える幸福というものに向き合う。

そして願うことはそれだけで楽しくて

きっと確証などなくても、人は幸せになれるのだと思う。

 

これからの私は、何を願うのだろう。

何と出会い、痛みを知り、笑っていけるだろう。

 

途方のない向こう側にある何か。

 

私はいつだってそれが怖くて、愉しみでならない。