読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ありをりはべり

日常のひきこもごも

水嶋さんのはなし

「水嶋さん、元気かな」

先日、職場の手洗い場を使っている最中そんなことを思った。銀色の蛇口から出た冷たい水が、指の間を流れいく。

シャワーや蛇口から流れる水、排水溝に流れる水、トイレの便器でぐるぐると渦を巻いて流れる水。

 

 

水を見ると思い出す「水嶋さん」

それは、小さいころ実家に居た不思議なおばけのことである。

 

 

水嶋さんとの出会いは、小学校6年生の夏。

我が家は二階建てなのだが、そのときほかの家族は牛舎に出ており(実家は畜産業である)、1階に私、2階に母がいた。1階のソファで寝そべって漫画を読んでいると、トイレから水を流す音が聞こえた。誰か帰ってきたのかと思ったが、しばらくたっても足音なども聞こえない。2階にいる母が知らぬまに降りてきたのかと思い、おかあさーん、と試しに呼んでみる。すると2階から母の返事が聞こえたので、いよいよ不審に思ってトイレを見てみれば、誰もいない。ぎょっとしてその場に立ち尽くしていると、今度は背後にある洗面所から水の音。蛇口から水がちょろちょろと流れていた。

背筋がひんやりと冷えるのを感じて、2階にいる母のもとへ全速力で向かい、ことの経緯を報告した。母はあっけらかんという感じで「まぁ、うちお墓も近いから、そういうこともあるよねぇ」と言ってのけた。

この話はその日の夕飯の席でも上がり、家族会議で「どうせなら名前でもつけよう」ということになった。

「水の出来事からはじまったから、水嶋さんじゃない?」

数分の協議の末、けらけらと笑ってそう言った母の案が可決された。

 

水嶋さんは、それからも不定期に我が家にやってきた。否、いつもいたのかもしれないが、なにかしらの行動を起こすのはいつも前触れなく突然だった。

ある日は、玄関やテーブルの上に木の実や落ち葉がこんもり小さく盛られていたり、テレビを見ていると砂嵐になったりした。

不思議なことに水に関することはその後一切おきず、私が14歳になるころには小さないたずらの数々もぱったりと止んだ。

 

水嶋さんがいなくなったころはちょうど思春期だったので、「なんだかわからないけどお父さんが嫌」という中2女子共通の問題が発生していた。そうなると水嶋さんの正体は父か。つっけんどんな私の態度に、水嶋さんを名乗るいたずらをするのも気が引けてしまったのだろうかなどと考えたが、水が勝手に流れたり、テレビが砂嵐になる現象の説明はつかない。

結局私の頭ではこれ以上仮説も立てられないので、深く追及することはやめた。

 

あれから十年たったいまでも、ときどき、水嶋さんのことを思い出す。

 

出会ったとき、私は人里離れたところに住む、友達の少ない寂しい小学生だった。姿かたちの見えない水嶋さんを、ひそかに家族の一員が増えたような、新しい友達ができたような、ちょっとうきうきした思いで意識していたのだ。

 

もうどこで何をしているのかわからない、やっぱり本当は、半分くらいは父の仕業だったかもしれないけど。

 

水嶋さんはいまでも、お茶目で、愛らしい。

おばけであり、家族であり、モノ申さぬ友人であった。

 

「水嶋さん、元気かな」

どこかで元気にやっていてくれたら、それはそれで幸せだと思っている。