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ありをりはべり

日常のひきこもごも

それでは夢を見に行こう

今日は、大好きな作家さんの展示を見て
夢、についてふとを思いを巡らせた日だった。







思えば小さな時から怖い夢を見ることが多くて、夜がこわかった。

それはきっと、夜になれば母がよく枕元で聞かせていた自作の小話のせいだ。

「眠れない子のところには、眠りの国から小人がやってきて、夜な夜なその国へと子供たちをさらっていくんだよ。
特に彼らはこんな真っ暗な夜が好きで、闇に紛れて、草影からやってくるんだ」


人里離れた場所で、野原にぽつんとたつ我が家。

夜になればあたりは本当に深い深い闇で、窓の外の闇を背景に語られるそのお話が
私は怖くてたまらなかった。

お話の締めの言葉はいつも「だから早く寝ましょうね」なのだけれど
そんな怖い話を聞いてむしろ寝られるはずがなくて

週一ペースで開催される「夜更かし大好きな私たち兄弟向け(母談)、眠りの国の小人たちのおはなし」会が、本当に嫌だった。



それからだ。

私はよく、得たいの知れないものたちに連れ去られて、はりつけにされたり崖から落とされたりする、そんな恐ろしい夢をよく見るようになってしまった。


大人になってからもそれは続いているらしく(きっとすべてが小話のせいという訳ではないのだが)、 一緒に眠っていた家族が私がうなされているのに驚いて起こしてきたり
隣でねむっていた当時の恋人が、翌日とても真剣なおももちで、昨夜はすごい魘されようだったけれどなにか悩み事でもあるのかと聞いてきたこともあった。


眠りに落ちると暗い海を漂ってばかりで
だから私は、大人になったいまでも、夜がこわい。

大きくなるにつれ、目覚めれば夢の内容は見たうちの何回かは忘れるようになったけれど、朝になれば胸の奥がきりきり痛むので、あぁまたやつがやってきたのだと分かるのだ。





けれども今日、わたしにとってはとてもとても不思議なことに。






夢について考えてみたとき、いちばんに浮かんだのは

いつもうなされている夢のことではなかった。






一番最初に浮かんだのは

先日、バレンタインだからと、家族に手作りのお菓子をつくっていた時間だった。

すこしどきどきしながらラッピングをして、お願いしますと何かを託して
郵便やさんにもっていったこと。


そして
気づけばその日一日を大好きな料理に費やし、一人では絶対に食べきれないほどのおかずをつくったとき。

あぁ、思う存分作ったぞという満足感と
これを一緒に食べたいと思う、大切なひとたちがふわりと心に浮かんだこと。


夢。


今まで呪縛のようだったその言葉のなかに浮かんだのは

なんだかどうしようもないほどに、甘い。
脆いけれども触れればぬくい、泡のような時間で。


ややそんな自分に自分で驚きながら
ここ数日、日常に息づいていた温度をたどり

あぁほんとうは、苦しい、悲しい夢ばかり見ていたわけではなかったのだと、思った。





夢はとても不確かで、でも、胸に迫るものだ。



だからこそ私は、触れえもしない夢の海のなかで
立ち向かうものがなんなのか、わからなければわからないほど、怯えていた。

けれど幸福な瞬間にも同じように不確かさはあって
その不確かさのなかにある胸を叩くなにかに、私はいつも救われていたのだ。

それは他人にしてみればどうってことのないかもしれない

あれをしたい、これをしよう。
と、思うとき
誰かの顔がいつも浮かぶという幸せ。

温かさに包まれた記憶を抱いて
まだ見ぬ形を描く「夢」


夢は、なにも夜だけに見るものではなく
ましてや胸を痛くしめつけるものだけでもなく

おひさまと一緒に、淡い夕焼けと一緒に
眠りにつくその間際にも
同じように、私だけの形をもって、かたわらにあったのだ。


そう思ったとき、夢が、怖いだけのものではなくなった気がした。


とはいえやはり今夜も
布団にはいるのは少しこわいわけだが
昨日とは違って、ほんのすこし温かなものが、胸の奥にある。

こわがってばかりではもったいない。
不確かさのなかにある、たしかな温もりを抱いて
今日という日の終わりを迎えられたら。




今日は本当に幸せな一日だった。

額縁のなかに、空間にとけこむような絵のなかに
まだ見ぬ幸せのかたちを描いた

その出会いに感謝して





これから、私だけの夢を見つけに。





それでは、夢を見に行こう。