こいをするひと
(一)
夕暮れ時
目の前を、高校生らしき男の子と女の子が歩いていた。
互いの手が、触れそうで触れない距離でゆらゆらしている。二人の間に言葉はない。狭い歩道で、私は横を通り過ぎることもできず、というか目の前の手と手の動向が気になってしまって、後ろをとぼとぼ歩くままだった。
女の子が、男の子の手のほうへ躊躇うようにゆっくりと、自分の手を伸ばした。けれど達する前に動きを止める。そしてその手で、男の子の背負うリュックのひものはしっこを、きゅっとつかんだ。女の子は、すっと男の子とは逆のほうへ顔を向ける。男の子は少しうつむいているようだった。
もうなんだか、彼らより私のほうが頬が赤くなっていないだろうかと、変な心配をしてしまった。
(二)
日曜日、正午
確かその日は祭りの日で、モノレールは混んでいた。停車すると、ざっと降りてゆく人、入ってくる人、二つの波が時間差で訪れる。私は最初から、ドア付近に背を預けて立っていた。すると、奥のほうから人をかきわけずいずいと中年のおじさんが進んでくる。そのタイミングで、私の傍の席に座っていた女性がたちあがり、ドアへ向かっていた。
おじさんはまっすぐこちらへくる。若干コワモテである。たぶんいましがた空いたこの席に座るのだと思い、私は視線を外に向けた。
おじさんが私の傍に立つ。…立っている。
…坐らない。
吊革につかまって、おじさんは空いている目の前の席をじっと見ていた。ちょっと変だなぁと横目でちらちら見ていると、向こう側から中年の女性がもぞもぞと人をかきわけこちらへきた。「なんでいつも先にいくの」と、ちょっとだけ怒っている。
おじさんは仏頂面のまま、顎で自分の目の前の席を指した。
一瞬きょとんとした中年女性は、すぐにふふっと笑い、ぺこりと頭を下げて、おじさんが指したその席に腰を下ろした。おじさんは仏頂面のまま、窓の外を見ている。中年女性は優しい目をして、おじさんを見ていた。
今度、両親の結婚記念日には、なにかお祝いしよう。
おじさんと中年女性の左手薬指、午後の光を受けきらきら光る結婚指輪をみて、そう持った。
(三)
夏、夕どき前。
その日は、父方の祖母の八十五のお祝いだった。
綺麗な着物を着て、祖母は朝からにこにこしていた。隣に坐る祖父は、何故かもじもじしていた。
祖母へお祝いのあいさつをと促され、祖父は緊張のおももちで「一緒にここまで暮らしてこれて嬉しい、これからもよろしく」みたいなことをたどたどしく言っていた。
祖父が祖母を溺愛していることは、親族はみな当たり前のように知っていた。祖母には絶対重いものを持たせないし、祖母になにか頼まれようものなら自分の体が壊れてでもやる、そんな全力で祖母を愛してやまない祖父だった。
そんな祖父に対して祖母はクールで、いつも全身でばーちゃん大好きを表す祖父を、どこか冷やかにあしらっていた。常に笑ってはいるがするどい目も持っている、そんな祖母である。
祖父のあいさつの後、みな、祖母の言葉を待っていた。
祖母は祖父のほうへ向きなおって、ふっと力が抜けたように笑った。
「とてもとても大変な八十五年でした」と、漁師をしていた祖父のもとへ嫁いだときの苦労を話した。そしてこれまで度々喧嘩したエピソード(おもに祖父への不満らしいのだけれど…)を語った。
しょんぼりした顔をした祖父は、ただ、そうかとだけこぼした。
しかしそんな祖父を前に、祖母はまた、ふっと笑って、祖父の手を取って言った。
「またこれからも、たくさん喧嘩しましょう」
祖父の目に、じわじわ涙がたまっていく。そんな祖父を、祖母はくすくすと笑っていた。
たまには実家帰るのもいいなぁ
ずびずび鼻水をすすりはじめた祖父を見ながら、私もふっと笑ってしまった。
祖父は今日も、祖母にあれこれと怒られながらも、幸せそうに笑っているらしい。