遠い日は二度と帰らない
音楽においては、スタート(幼少期)こそ忌野清志郎とツェッペリンだったが、その後は普通に邦楽ロックなどを聴いていた。休みを取ってはフェスに行っていたし、ライブハウスで飛んだり跳ねたりヘッドバンキングするのが好きだった。だった、といってもほんの二年前までそうだったので、最近ともいえるが。しかし思えばだいぶ早い時期から「自分はこれじゃない」感じにうすうすは気づきはじめていた。
ライブで仲良くなった人にはアーティストのファンクラブに入会しているひとも少なからずおり、勧められてはいたけれど。
すぐに売れてしまうチケットを取るために、朝いちばんにコンビニに走ったりすることが億劫になっていた頃にはもう、もはやファンクラブに入るなんてどこぞの話だった。
自然と同年代のひとたちが聞いている音楽から遠のいて、最後にヘッドバンキングしたんのはたぶん、一昨年の夏とかではないだろうか。
こぶしを突き上げたりぴょんぴょん跳ねたり、そういうのも楽しかったけれど。
後半はもう、音楽をちゃんと聴いていたかというとそうではなかったかもしれない。
今現在聴いている音楽といえば渚ゆうこや霧島昇、そして寺尾沙穂といったかんじ。昭和のにおいぷんぷん、若しくはふわっとしつつ鋭い言葉に刺されるような、そんな音楽だ。
ぬくさや冷たさがしずかに侵食してくるかんじが良い。
昭和、平成、昭和ときて、次はどこにゆくだろう。否、年代のくくりでどうこうではないのか。ただ、兎にも角にも、京都に行きたい。