ありをりはべり

日常のひきこもごも

胸の振り子

 

中学生のころまでは、学校であがた森魚とかたまとか言っても通じる人なんてひとりも居なかった。だから高校生にあがったばかりの春、私の好きな音楽を私以上に語れる彼に出会えたのは、やはりとてつもなく幸運なことであったのだと思う。

 

彼はバンドマンだった。バンドを組んでいるひとなんていうのは小さな島でも数えきれないほど居たが、中でもブルースを主としていた彼は特別異色を放っていた。

時々ハーモニカを混ぜつつギターをかきならして歌う姿は誰にも負けず格好良かった。

ひたすらシンプルでいて、圧倒される。バンドももちろん良いけれども、彼の場合はソロのほうがより声も音も生きていたように思う。

 

実を言うと保育園が一緒で、高校で再会した彼は、思い出のなかではいつも鼻水を垂らしていた。おかげで園の子たちのあいだでは名前の前に「洟垂れ」なんてつけられていたのに、人は変わるものだ。

どれだけ仲良くなってもきっと、あの時は泣き虫で、鼻水垂らしてしてたのに立派になったよね、なんて言えないとは思うが。

 

クラスが一緒になった年にはさんざん音楽について語った。私の知らないアーティストをあれこれとすらすら口にしていく彼は、友人であり憧れの存在であった。

高校卒業のときになって、私は家庭の事情で夢を諦め看護師になる道を選び、彼は東京で音楽をやっていく道を選んだ。毒舌なひとだったので、きっと、お前も周りのみんなと同じで堅実な道へ行くんだなと笑われるかと思っていたけれど、彼は何も言わなかった。

東京へと旅立つ前日には、いつも通りの他愛もない時間を過ごし、

別れ際にはこれまで島を訪れたアーティストと共演した際の音源を手渡されて、これが別れだと思った。

 

ライトに照らされて歌う彼を、今でもときどき思い出すけれども、彼の目指していた音楽はやはりひたすらに素敵だった。素敵だった、なんて一言でしか表わせられない自分が恥ずかしいほどに。

 

今もどこかで歌っているのだろうか。二度目の引っ越しでだいぶ減ったCDの列、安っぽいプラスチックケースのなかにそれは眠っている。もうCDを再生しなくたって記憶からありありと取りだせるようになったのはいつの頃からだったか。

 

粗削りで、力強く、やさしい。

きっとまだまだ、この先も。声も音も色褪せぬまま、傍らにその音楽はあり続けるのだろう。

 

 


18才のブルースマン

 
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