大丈夫の乱用
麗らかな午後、那覇。
今日も救急車のサイレンが街中に響く。
「昼間っから大変だねぇ」と私と同じように信号待ちをしていたおばさんが口の端をにっと上げて言う。
笑っているのかと思ったけれども、見れば紫がかった眉墨は八の字になっていて、唇は小さくわなわな震えていた。どうやら笑っているのとは違うようだ。
そうですねぇ、と気の抜けた返事をして、救急車の助手席に人がいなかったのを確認していた私は
一人は心臓マッサージでもしているのかしらと僅かな予想を立てた。
こんな穏やかな陽気の日に、誰かは苦しんで、死んで行くのだ。
そう考えたら、これから久しぶりに会う友人とのランチが待っているというのに、途端に心が陰った。
この横断歩道を渡ったら行きつけのカフェに着く。ランチが終われば家に戻り支度をして、仕事に行かなければならない。
やっぱり自分は看護師などには向いていないかもしれないと、月に何回か訪れる自問自答にまた出会う。
緊迫した状況で、患者若しくは患者の家族から問われる「大丈夫なのか」には
いつも、どう答えていいのかと悩む。
仕事をしたばかりの時はその言葉の重みを知らず、恐れもなく「大丈夫ですよ」などど答えていたが、
思い返すと、とんでもないことをしていたものだ。
医師が畳み掛けるように指示をだして、そのときできうる最善の治療を、つぎにつぎにと目まぐるしく展開していく場面で
誰かに大丈夫だよと言ってもらいたかったのは、むしろ自分自身だった。
大丈夫です。
その言葉は、半分は足のすくむ思いでいた自分に向けて言っていたのだ。
仕事をして半年ほどたったときに「なにが大丈夫なのか言ってみろ」と患者さんに怒鳴られて、やっと言葉の重みを知ることになるのだが。
かと思えば「大丈夫だといってください」とぼろぼろと涙をこぼす患者さんを前に
やはり言葉はなんて大きな力を持つのかと
自分の手には負えないものに、やや怖くもなったのだ。
もう言葉など要らないと思えたとき、1つの大きな壁を乗り越えられるのだと思う。
「そんな、なにを言えばいいのかというような顔をするんじゃないよ
もう僕は死ぬんだろう」
と身体中黄疸になり、目の前で吐血した患者さんは最期にそう言って、笑ったから。
一台来たと思ったらまた次々に救急車がやってくる。
看護師に向いているなんて、一度も思ったことはないけれど
だからこそいつだって目標は消えずにそこにあって、反省してはつぎにつぎにと前に進めるのだろう。
大丈夫、と優しく背中をおす声に支えられて
真っ白で真っ赤な喧騒のなかで、少しずつ自分の居場所を見つけ始めている。