ありをりはべり

日常のひきこもごも

闇の向こうの光を見に行こう

ついこのあいだ
ほんのすこし先
あとどれくらい先かわからない向こう側

そんな広い時間軸で
大切な人との別れを感じている。





先日、夏に病に倒れ入院していた叔父が、急逝した。
自宅への退院を目前にしていたのだが、最後は心臓も悪くして、ぜいぜい苦しい息をしながら去ったらしい。
それでも、遺影に写る叔父は沢山の花に囲まれて、穏やかに笑っていて。あぁ、そうかこんなふうに笑う人だったのだと妙に感動して、こんなに近い身内の、半年前の姿すら朧気になっていた自分にすこしがっかりした。

なにかやりのこしたことは無いだろうか、
最後に伝えたいことは伝えられたのだろうか。
ぐるぐるとそんなことを考えて
何も掴みきれない自分に、さらに情けなくなって。

ゆらゆらと揺れる線香の煙と、その向こうで柔らかに笑う叔父を、ただぼんやりと見ていた。





つい最近では、わたしの尊敬する夫婦がここ沖縄を発つとの報せを受けて。
びっくりしたのだけれども、どこかしっくりともきている自分がいた。
あたたかく、強い人は、周囲が敬遠する境界線をいとも簡単に渡ってゆくものだと思う。
激しく吹き付ける向かい風にすら、きらきらと笑いながら。

穏やかなたたずまいだが、笑顔のその奥になにか強い芯のようなものを感じさせるお二人。
いつも、静かなエネルギーみたいなものを感じていた。


それは
すこし胸が寂しくなるけれども、
爽やかで、温かな別れの予感。




どこが終わりで始まりなのか
学生の頃まではよく、物事の入口と出口について考えていた。
足し算みたいに、これはこれにしかならないと、お決まり文句のような分かりやすい答えを求めて。

だけれども
嬉しいと苦しいがいっしょくたになって胸を苦しめる
そんなわけのわからぬ一瞬に、得られなかったひとつの見解を見いだしたりしてゆくうちに
少しずつ、思考の先の輪郭がやわやわとぼやけていった。

そして
世の中には恐らくどうしようもない悲しみや幸せが溢れていて
私が考えていた「物事」は、蟻の巣のように道々をつくっており
それは最早入口と出口なんてゆう次元ではないのだろうと。

答えのようで答えでない
なんとも頼りなげな、だが妙にしっくりくるような不思議な案配の終着点へと行き着いた。

大切な人との別れが、すぐ近くに、そしてそう遠くはない未来にある。

叔父は亡くなってしまった。もう体温と共に、あの温かな笑顔に触れることはできない。
だがきっと、命を失うさよならのときですら
本当に大切なものは失われない。

叔父の温かな笑顔は、遺影だけに残されたものではない。通夜では予想を上回る参列者が訪れ、しんとしずまりかえっていた叔母の家は、花で埋め尽くされた。
叔父の残したものは、笑顔のもっと奥に、その先に
あるのだと思う。

なにが終わりで始まりか。
考えればそれは本当にきりがない。

けれどたしかに思うのは、別れは絶対的な終わりではないということだ。そして必ずしもなにかの始まりを告げるものでもないのだとも、思う。


叔父の命が終わりを告げるよりももっと前に、叔父の思想や描く人生にはなんらかの終焉が来ていたかもしれない。
少しずつ体が軋み始めたときから、自分自身と対峙する日々が始まったのかもしれない。

そして叔父が亡くなり一週間がたった今、残された叔母は、周囲の温かな掌に触れて、何かの答えを見つけ出そうとしている。


涙で迎えた別れも、笑って迎えた別れも、
きっとどこかで、幸せの連鎖へと結び付いていたら。

来年にはここ沖縄を離れると言う、お二人。いつもの珈琲屋さんで、穏やかに笑いあっていた彼らを思う。

すこし悲しく寂しくもあるが、
きっとあのお二人の温かさ、言葉の的確さ、ときに感ずるつんとした鋭さは
ほかの誰に重なることはなく
心にありつづけるのだろうと思う。


人との出会いが、ゆっくりと自分の糧になってゆく。

お二人の尊い感性に感謝すると共に
この先の長い旅路がぬくもりに包まれたものであるようにと、願っている。




光と影 ハナレグミcover - YouTube