ありをりはべり

日常のひきこもごも

一年を経て

言葉には責任を持て。

というのは、中学のときに母に言われた言葉である。


当時のわたしと言えば、丁度反抗期真っ只中で「なんか知らないけどお父さんが嫌」「お兄ちゃんも叔父さんも嫌」「でもクラスのあの男の子は好き」そんなカオスな世界を生きていた。

何が嫌いで何が好き、という境目は、ひどく明瞭すぎているわりに
今日はこちら側、明日にはあちら側と、せわしなく変更を繰り返していた。

学校にいけばいじめが溢れていて、まるで当番みたいにぐるぐると、ターゲットが変わっていた。
いじめられていた同級生をかばい自分がいじめられてしまったこともあり、ストレスで体を壊し一年間で二度入院してしまった。
その後、私は遠目で誰かが泣いているのを見るだけのひとになった。傍観者であることはひとまず自分の安全を守ることに繋がったが、しかしそれはいじめに加担しているといっても反論はできないのだと

私はきづいていても、じっと隠れていたのだ。


しだいに荒んだ言葉ばかり吐くようになり、ずいぶん両親には感情的な態度を取り、傷つけた。

そんなときに母に言われたのが、一番最初に挙げた言葉である。


言葉。
それは受けとる側によって、様々な解釈と可能性を持つものだ。
初めて言葉を紡いだのはいつごろのことか、記憶にすらないが。
いつのまにか私はなんの試験も受けずとも許可を得ずとも、誰かに意思を伝達する方法を習得し、実践していた。

やっと言葉の裏に隠された危険性に気づいたのは、日々、当たり前のように誰かが輪の中から排除されるという場面を目にしてからだ。

そうしていつのまにか、家族という輪の中すら、自らのことばで傷つけ、壊していたのだ。

言葉はときにはかり知れぬ力を持って、人に訴えかける。

だから私は文章を書くのは好きでも他人に見せることは好きではなかった。

ひょんなことで始めたこのブログも、開始からもう一年が経った。

二年目に向かう私は、どんな言葉を綴っていくだろうか。

どうかあの、心の奥底を抉るような瞬間がまたも在ってはならないと願いながら

母から受けたあの一言を胸に
残された、今日という日の数時間


私は、私の言葉と向き合おうとおもう。