ありをりはべり

日常のひきこもごも

故郷

 

夕方、以前住んでいた町でお世話になった方たちと、ご飯を食べに行った。

 

海沿いのホテルに並び建つそのイタリアンレストランは、2階までは屋内、3階からはテラス席となっていた。屋内席は禁煙席との説明に、一人煙草を嗜む方が居られた私たちはテラス席へ案内される。

 

席につくとみな表情を綻ばせて、グラスを小さく挙げて、乾杯の声。波の音が耳を撫で、吹きぬける潮風が涼しく心地よい。

 

メンバーは、以前通っていたカフェのオーナーと、そのお店の常連さん。私より20歳から30歳ほど年上のみなさんは、まるで家族のように温かく接してくれ「娘のように思っているから」と、笑う。

 

学生の頃通っていたカフェ。そこに集う近所の人々は、いつも優しかった。独り暮らしの学生生活を気遣い、時にはうちで採れた野菜、今日作ったご飯だとかを分けてくださり、台風のときなどは安否を心配する電話をくれた。

 

数年がたち社会人になると、話題は学生生活から仕事へと変わり

 

パートナーができたことで、またひとつ話題が増える。

 

「どんな家族になりたい?」

 

 家族。そう言われて、実はすんなりと出てくる答えが無かった。

子供を本当に望む時期になったとき、それが叶う体だろうか。

 何かあったとき相手の力になるために、いまからできることは、何だろうか。

 お金はどれくらい貯めておいたほうがいいのか。そのために、いまから何を削るのか。

 

幸せな家庭を描くより先に浮かんだのは、生活していくにあたっての不安要素、自分の体への不安。

 

真っ黒な沼にでも足を踏み入れたように、喉がうまく言葉を紡げなかった。

私をよく知る人たちからの、不器用な私を案ずるその優しさもまた、胸をついた。

 

お料理は美味しく、景色は美しかった。みな笑顔で、変わらないものがそこにはあった。けれど変わったものも、わたしが思うよりずっと近くに、そして、遠くにある気がした。

 

ひとり車を走らせた家路は、いつもより少しだけ長く時間を感じた。

 

道中、なんだかお酒でも飲みに行きたい気持ちになって、財布の中のお札の数を思い起こして長らく訪れていないバーの名前を反芻してみた。

昨年といえば、流れに任せては度数も名前もよくわからないお酒を飲みにそこへ通い、不安な夜をやり過ごしていた。朝を迎えれば寂しさやら痛さやらが胸を押しつぶして、自分は太陽と一緒に生きたい人間なのだと薄々気づいても、なかなか抜け出せないままで。そうしていつの間にか一年が経っていたのだ。

 

痛む記憶を思いながら、アパートの駐車場に車を停める。

エンジンを切ると、なにかふっと胸のうちが温まる感覚がして、私は、はたと動きを止める。

 

それはいつかの思い出でもなく

描くこれからでもなく、ただ

帰ってきたのだ、という安心感。

 

思い出したように車から出て、エレベーターを上がり、部屋の鍵を開ける。

 

かちゃりと音をたてて開いた向こうに見えたのは

 

ベランダに干されている洗濯物や

台所、お昼ご飯を料理する際使ったフライパンと、木ベラ。

朝、水をやった観葉植物。

そんな、なんでもない生活の一部。

それにすら、ほっと胸が温かくなる、自分。

 

床にこんもり山となっている洗濯物は、今日昼間に取り込んだもの。お山のてっぺんにあったタオルケットからは、日溜まりの匂いがした。

すぅっと吸い込んで、ふっと張っていた心がまたひとつ綻ぶ。


未来を思うと、私はいつも不安だった。


自分の知らぬ所でたしかになにかが変わっていて、突如、どこかで選択をせまられる。二つ一緒には選べないときがくる。

 


そのとき何をどんな基準で選べばいいのか、守りたいものを守れるのか。

 

いつだって明日は中途半端に顔をのぞかせていて、そして一番怖さを感じている部分ほど、あいまいに見えた。

 

「どんな家族になりたい?」

 

懐かしい人たちは目を細めてそう聞いた。そこには変わらぬ優しさがあって、あのころより少しだけ大人になった私がいて。

数年前、小さな島からやってきた何も知らない私を温かく迎えいれてくれた場所は、やはりあたたかかった。 

 

胸の中に陽だまりができたようなぬくもりを感じて、はたとする。

むしろなりたい家族のかたちは、今日食事をともにしたその場に、描かれていたのかもしれないのだと。

 

「君を娘のように思っている」

 

見知っているいないに関わらず、目の前のなにかを慈しむということ、手を差し伸べるということ。18の私はそれを体感して、いつしか自分もそうありたいと思い始めた。

 

きっと今日、私は潮風吹くその場所で、もうひとつの故郷に帰ったのだ。

 

私はどんな家族を築いていくだろう。

それはいつしか、私以外の誰かの故郷ともなりえるだろうか。

 

まだ少しだけおそれを感じながらも、描く未来はすべて暗闇ではない。

求めるものはきっともっとシンプルでも良いのだと、言い聞かせて、頷く。

 

ふわりと陽だまりの匂いの漂うアパートの一室、朝になれば窓から柔らかな朝日が差し込むだろう。

 

一日の始まりをこんなにもあたたかな気持ちで迎えられる今が、今はただ、たまらなく、愛おしい。