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ありをりはべり

日常のひきこもごも

3月の森

先日より、友人(と恐れ多くも呼ばせていただきます…)の展示が始まっている。

 

三月はじめの展示開催から、普段は店主セレクトのジャズの本などが並んでいる白壁は、友人による繊細な切り絵と水彩の淡い色合いで彩られている。

 

冬の終わりへと向かう沖縄、日暮れの空は未だ深い藍色。珈琲やさんに灯るのは夏の夕日のような橙のあかり。

訪れるお客さんの着込む暖色と寒色。

 

季節の間を漂うかのようなその場所に溢れる、

淡い桃色、水色、黄緑色。

 

優しい色彩は情景に溶け合うようにそこにあって

それはまるで、春ってこういうもんだよというような柔らかな温もりを携えている。

 

そんな温かさに包まれつつ、さらには手にしている珈琲のぬくさにもほっとしながら、久しぶりにカウンター席に座り、もの想いに耽る。

 

思えばこの一ヶ月は仕事に忙殺されつつも突っ走って失恋したりプライベートも忙しかった。

けれど落ち着かない生活のなかでも、ふと幾度も思い起こされた言葉があった。

それは異動したてのころ、職場の先輩が私にかけた「本当に楽しくなるには頑張らないといけない」という言葉。

 

慣れない環境で、これまで随分仕事がうまくいかなくて泣いたり、もう辞めてしまいたいとか逃げ道を探したりもした。だが多忙極める今、職場の先輩方からかけられる言葉に温もりを感じるようになった。

それはあたたかな眼差しとともにかけられる、あなたの努力を見ている、知っている。という言葉。

 

必ずしも自分の全力を尽くしたからと言って、それが良い結果になるとは限らず、やはりそれは今の時点の自分はそれまでだということ。

だが振り返ればどの時でも何かに我武者羅で泥臭くて、頑張っている自分というのはいた。

 

私にとってその対象は仕事であり、恋だった。

 

怒涛のような季節を越えて再びやってくる春。昨年日向ぼっこしながら迎えていた春とは少し違う、けれどやっと寒さの緩みはじめた季節のなかで、この先温もりの一層ました春が待っている。

 

そんな確信にも似た予感を抱いている。

 

きっと涙を流したそのときも、冷たさに触れてばかりではなかった。

むしろ温かなものを知っていたからこそ、涙した瞬間があったのだと感じる。

 

柔らかな眼差しや言葉をかけてくれる周囲のひとびとに、

ただひとつの温かさにめぐまれていたからこそ。

 

先日雨上がりの青空を久しぶりに仰ぐことのできた休日、届いたのは兄からの「子供が生まれた」という知らせ。

添付された写真には目をぎゅっとつぶって泣き叫んでいる赤ん坊が写っていた。その柔らかそうな頰に帯びるうすい桃色。赤ん坊を抱く兄のお嫁さんは、優しく目尻をさげて笑っていた。

 

午後、カウンターに座り友人の展示を眺めている時。

先日目に捉えたその温かな色が、友人の彩る色彩に重なった瞬間、なんとも言えない幸福感に包まれた。

 

 

優しい色は、どこまでひとを幸せにできるだろうか。

 

 

窓の外の藍色、店内を包む橙色、彩る桃色。

色彩に包まれて、大切なひとが今日も大好きな場所であたたかに笑っている。

 


もしかしたら幸せはいつも、同じところにあったのかもしれないと。

 ささくれのような記憶を抱きながらも、胸のうちは、あたたかい。

 

3月、大切な友人の描くただひとつの彩りに包まれ

いまここにある春を抱きながら

 




これから訪れる春を、待っている。