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ありをりはべり

日常のひきこもごも

冬のせい

当たり前だが、冬は寒いものだし、毎年暑さと寒さのサイクルは周期でやってくる。
なのに、いつまでたっても余裕をもってこの季節を迎えることができない。

これまではそれを寒さに対応できない極度の冷え性のせいだと思っていたのだが
最近体質的な理由だけではないのだということに、気づき始めている。



冬の見せる色は、夏のそれとは違いすこし侘しい。



夕刻暮れゆく空も、鮮やかな橙ではなくどんよりと青紫がかったものが多い気がするし
道行く人も、グレー、黒、茶色などのトーンの低いものを着ている人が多い。

そしてキンキンに冷えた手足の先を布団に潜って暖める夜、
自棄に温かな記憶などが思い起こされて、触れる冷たさとのあまりの隔たりに、なんだか胸の奥の方だとか別のところにまで寒さを感じたりするのだ。


私は多分、だいぶ色々と余計なことを考えしまうたちで
常になにかしら思いに耽ったり考察したり空想したりしている。


冬は特に、それが顕著だ。

暗い空だとか
モノトーンの景色のなかに身をおいていると

温かで明るい景色のなかでは押しとどめられていたものがふつふつと浮上してきたりして
あぁ、またこの感覚がきている、と少し心がざわざわする。

それはちょうど心臓の位置の辺りで、黒くて小さな虫が小さな足を忙しく動かして、狭い場所をいったり来たりしているような
不穏な予感を抱く瞬間で。


だからそういうときには、なるべく温かな飲み物をのんだり
優しい人に会ったりして
なんとか胸のうちとの調和をとっている。




変わらぬ笑顔や穏やかな声や、美味しいものに救われて

まだ大丈夫、と思えるのだ。




それは同時に自分の弱さに気づかされ、目の前の温もりの尊さに向き合う瞬間でもある。


冬は、温かいもの、温かい空間、温かいひと。

そういったかけがえのない大切なものが、夏の頃とはまた違う深さで心に浸透し、日々を生きる活力になる。


不変であることは
自分の思う白や黒の境界線や痛みや幸せの区別を、やや曖昧にさせてしまうものだと思っている。


だから、冬は本当に苦手だけれど
穏やかな秋を越えて迎えるその寒さにも、少しだけ、一ミリほどは、感謝しているのだ。


温かさに触れ得るなら
煩うこともきっと悪くない


好きなひとと、好きな空間に癒された今日、
被った布団の温さにもほっとしながら眠りにつこうとする夜。


ほんとに寒さなんてまっぴらなのに、と文句をたれながら

あしたもこんなに寒かったらどうしよう、とげんなりしながら


傍らの温もりを抱いて
今日も何だかんだと、私は幸福なのである。