湯気
湯気が、好きである。
ふわりと立ちのぼり、いつのまにか空に消える儚さ
けれどどんな鮮やかな色も白で染める、その存在感。
いつものお店で頂く珈琲。
トレイに乗せられて運ばれてくる間にも、柔らかく、ゆらゆらと湯気が踊っているのが見えて。
私は、すこしだけわくわくする。
目の前のテーブルに、珈琲が置かれる。
カップがテーブルに触れた瞬間に、また湯気が揺れる。それははじめ柔らかな曲線を描いて、そしてまっすぐに伸びたかと思うと、すっと溶けてゆく。
なんだか、店主が大事にいれた珈琲から、やっと定位置につけたよ、というようなつぶやきが聞こえてきそうな。
湯気は、生まれたての珈琲が吐き出す安堵のため息のようにも見える。
カップに口をつけると、言葉通り目と鼻の先で、湯気が揺れる。
優しい苦みが喉を通ってゆくのを感じながら、あぁ今日も一日が終わったんだと、私はほっとする。
揺れる白は、自分のため息のようで、けれど私の呼吸ではないもの。
ちいさいころ、白は色なのかと、ずいぶん考えた。
色というのはもっと鮮やかで、主張していなければならないと、どこからか分からない確信があった。
白は無機質で、空っぽで、寂しいものだった。
けれど
いつもの珈琲やさんの、いつもの席で、ゆったりとジャズを聴きながら過ごす、いつもの夕方。
そこで見る白は、きっと何度触れて見ても、冷たいものではない。
「こんばんは」
そういって私はいつものように、珈琲やさんの入り口を跨ぐ。
一瞬で心までもが包みこまれるような、珈琲の香り。
誰かの為に編み出される、優しく、かけがえのない白。
掌で包むコーヒーカップ
かおりたつその温度を感じながら
いつも寄り添うようにそばにある
ほかの何色を混ぜても作り出せないその色に
いま幾度となく、救われている。
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