ありをりはべり

日常のひきこもごも

ジョハリの窓

昼、那覇から飛行機にのり故郷の島に帰ってきた。
空港に降り立つと那覇をたつ前に見たのと同じ、どんよりした灰色の空と厚い雲が、頭上から重くのし掛かっていた。
町外れの空港から市街までの道のりは、枯れた草原と畑が延々と続いていて、余計に空気が淀んで感じられて。
帰省の度に思うのだが、すこしずつだが確実に、町が吐き出す呼吸みたいなものが弱まっている、そんな感覚がした。

最近は仕事でへこむことが多く、気分転換に何度か島に帰りたいと思った。実は、忙しいとかなんとかいいながらも、地元に帰るくらいならすこし無理をすれば時間は作れた。
それでもなかなか足を運ばなかったのは、思い出では色鮮やかだった風景が退廃して目に写るのを受け入れることが、苦しかったからだ。

そして地元にかえれば、糸が切れるみたいに、へこんだり嘆いたりする自分を露呈させてしまう気がして
それがなんだか嫌だった。

けれど、迫り来る日々は気づけば自分だけではどうにもできないスピードで心を細くさせていたし、美味しいご飯も素敵なひととの出会いも、その瞬間が終われば胸の奥が寒くなった。そういうときは、ちょっと近くも遠くもないくらいの、でも日常とは違うところに身を置いてみたらどうだろうと。…そこに地元を選んだのはやっぱり甘えだなと思うけど、もう開き直って飛行機のチケットをとっていた。


家族は、相変わらず賑やかだった。
父は、私の知り合いに八十八ヶ所巡礼が好きな人がいることを知り嬉しそうに笑っていたし
母は、最近の親族内でのゴシップについて興奮したようすで話していた。
兄は相変わらずのマイペースぶりで、でもすこし遠慮がちに私の体調や仕事のことを気にかけてくれた。



家族はやっぱり、温かかった。



島を出るとき、同じ県内とはいえ住み慣れた土地を離れて暮らすことはやはり怖かった。けれど決して裕福ではない中、高校、専門学校と学ぶ道をくれた親には、ちょっとへこたれたくらいでは弱音を吐いてはいけないと思った。

なかなか仕事やプライベートの悩みを話さない、それが心配なんだと昨年母に言われたとき、甘えてもいいのかなと少し思った。

母が台所で昼食の準備を始めたとき、いつのまにか分厚くなっていた意地っ張りをべりべり剥がして、最近の悩みとか、これからの不安をぽつぽつと吐き出した。
母はとても驚いていた、そしてため息と一緒に、大変なのねと言った。

そのあと、一緒に豆腐の肉巻きをつくり、エビチリを作り、綺麗に平らげ、食後のコーヒーを家族みんなでゆっくりと飲んだ。

話したあと、やはり罪悪感がどっと押し寄せてきて、胸はどんより、重苦しかった。
でもふと周りを見れば、懐かしくて優しい目が自分を見ていた。

私は最近、人にみられることが、すこし怖かった。
その目に自分はどう写るんだろう、と。勝手にびくびくしては、表情をこわばらせていた。
職場の先輩に、頬にできた吹き出物を指さされてストレスたまってるのなんて聞かれると、こころの奥底まで見られた気がしてびくりとしたりしていた。


どうしてこんなに、自分を見せることが怖くなっていたんだろう。

目の前のわたしの家族は、責めることも誉めることもなく、ただ私を案じることばをかけ、近況はどうかと問いながら
私を知ろうと、真っ直ぐにその目を向けていた。

思えば同じような目に、私は何度も出会っていた。


それは、私の拙い説明を一生懸命にきく患者さんのご家族であったり
いつもご苦労様と声をかけてくれる警備員のおじさんであったり
親しくしてくれているご近所さんやお店のひとたちや
厳しくもあたたかく声をかけてくれる職場の先輩たちであったり

みな、場面は違えども、目の前の私をその目に捉えていた。
一瞬の間にも、向き合おうと知ろうと、私を見てくれていた。

そう思ったとき、これまで心にずしんとのしかかっていたものが、すっと軽くなった気がした。

日々さまざまな患者さんに出会うなか、一番怖いことは無関心であることを痛く気づかされたのに、

いつのまにか、自分から周囲に壁を作っていた。


知ろうとしなければ、向き合わなければ、なにもわからない。

傷つくことを恐れて殻に閉じ籠れば、求める温もりからは更に遠ざかってしまう。


「疲れたら帰ってくるんだよ」

父が、本を読みながら何気なくという感じで放った言葉に、じわっと目元が熱くなった。

たぶんいま目が合ったらいよいよ泣いてしまうと思ったので、慌てて笑って視線を逸らした。

父もただ静かに笑っていた。そして、自分の好きな音楽について話し始めた。私が一番気負わず話せる話題を、そこで選んでくるあたりが私にとってとても温かいものに感じられた。

島はすこし変わってしまったけれど、私のふるさとはやっぱり、温かくて、優しかった。



弱い自分に嫌気がさしたり
不器用さにがっかりしたり
肩を落とすことはあるだろう
けれど、私というひとは一人しかいないのに
ただひとつのここにしかない自分を認めてあげられないなんて、
なんて悲しいことなのかと思った。



私を真っ直ぐに捉える目に、向き合う自分でいたい。
それが肯定でも否定でも、そのどちらでもなくても。


半年ぶりの帰省には、とても大きな収穫があった。

空は相変わらずの曇天だが、この景色から晴れ間がのぞいたら爽快だなぁと、いつ来るかもわからない晴れ間を心待ちにする自分がいる。

なにかに期待するのはそれだけで楽しい。


胸の奥で、温かい風が渦巻いている。