幸福な失敗
数日前から、大阪に住む友人が沖縄に来ている。
さまざまな向かい風に耐えながらも仕事をバリバリこなす彼女。色々事情はあるのだけれど、なんだかんだで三カ月に一回は沖縄を訪れている。
今回彼女が来沖する初日は、仕事を早く終わらせ合流。「焼き肉食べよう!」の友人の一声で夕食はすぐに決まった。
半年ぶりの焼き肉は、とても美味しかった。向かいの席ではいつも屈託のない笑みを浮かべている友人が、やはりにこにこしながら肉を焼いて食べてを繰り返している。
お互いの近況から、同郷の友人のこと、そしてこれからのことを。
じゅうじゅうというお肉が焼ける音と、食欲をそそる匂いを前にして話は尽きない。
結局女二人だというのに、頼み過ぎてしまって焼き肉を7000円以上も食べてしまった。
現在の部署で働き始めてからの私は、毎食お茶碗半分ほどのご飯とスープのみでもだいたいお腹がいっぱいになるという小食傾向だったので、胃のキャパは完全に超えていた。帰りには胃が苦しくて仕方なく、うーうー唸ってばかり。気付けば帰り道では若干道に迷いなんとか私のアパートについた。
高校が一緒だった友人と私は、同級生から、どことなく似ているとよく言われていた。
焼き肉屋で、友人は焼き肉のタレや抹茶アイスを真っ白なトレーナーに盛大につけてしまい、それでも「やっちゃったー」とにこにこしながらおしぼりでふいていた。
私は私で、お肉が焼け、さあ食べよう、いただきます。のタイミングで箸を床に落としたり、半年ぶりとはいえ何度か来ているはずの店なのに押し戸を思い切り引いてしまったりした。
そのたびに、二人でけらけら笑っていた。
そうして笑ってばかりの夕食をすませたあと、ふと思った。
失敗を笑いあえるっていうのは、なんて素敵なことだろうか。
たとえば、同じ失敗でも職場の怖い上司の前でやってしまった際には冷や汗ものである。「す、すみません」とどもりながら謝る自分が想像できて、途端に哀れな瞬間になってしまう。
それが好きな人の前であったとしたら、自分のドジさを知られてしまった恥ずかしさで堪らなくなるだろう。
互いの小さな失敗を、馬鹿にするでもなく、ただあたたかく笑って受け止める一日。
「こんな失敗つづきなの久しぶり!今日は気をつけて道歩かなきゃね!」互いになにかとドジなのはいつものことのような気がしたが、友人はそういって背筋をただして笑う。私も「そうだねぇ」と一緒に笑った。
なんだかそれも、幸せであたたかい。
なにもないところでつまずく友人を後ろから見ながら、縦に並んで歩く。
きっとつぎ振り返ったときも、友人は笑っているだろう。
なんとなく、そう思った。