ありをりはべり

日常のひきこもごも

毎日明るいことつづきではないし、綺麗なことばかり思えるわけではない。理想はやっぱり笑って過ごしたいと思っても、なかなか表情筋が追いつかない時もある。

そんなときは、無理やり笑う自分にもかなしくなる。

 

けれど悲しいと嬉しいも、痛いも幸せも、実のところ背中合わせで

それがやけに自分の生活に彩りを与えていることも、否定はできない。

 

体調の悪い時、誰かがかけてくる「大丈夫?」のひとこと。

嬉しい偶然が続いた時にやってくる、悲しい偶然。

過去に受けた痛みがあるからこそ、幸せという気持ちを知る。

 

他人から見ればしょうもないと思われる一日、人生でも、人間であることを選んでしまった限りは人それぞれ向き合わなければならないものは山積み。

幾重にも重なる壁を前に、ときには諦めという言葉がよぎる。

だが立ち向かうたび、否、それがなされるがままの結果だとしても

 

そこで生まれる一喜一憂に、常に新しい痛みと、幸福を知っていく。

 

その日 食した栄養素、吐いた二酸化炭素

自己の中で変換する誰かの思想。

気付けば一秒前も過去で

毎日同じままの人間など、きっといない。

 

まだ人間として生まれて20年と数年だけれども

数え切れぬほど素敵な人たちと出会い、泣いた記憶を積み重ね、とんでもないずるをし嘘をつき、もったいないほどの幸せを得てきた。

すでに腹八分目なんてものじゃないのに、心臓が頑張ってくれている間、まだ人生はあるらしい。

 

想像を絶する未知の中で、私は生きていく。

 

これから、どれだけの知らない自分に出会うのか。どれだけのものを得て失ってしまうのか。自分の命の仕組みも、社会の成り立ちすらも知らない未熟さゆえに、怖くなる時がある。

 

けれど未来を創造するこの瞬間

明日があることを当然のように認識できる、日々の穏やかさとその奇跡に感謝する。

  

「百人に認められることは難しい、でも百人を受け止めることはできる」

 

いつまでも


未来を恐れながら、変化を心待ちにしながら

そして、ただそこに在る幸せを感じながら

 

目の前に在る存在に、向き合い続ける自分でいたい。