ありをりはべり

日常のひきこもごも

こどもについて

 

ずっと、子供が苦手だった。

小さい体は少し力を入れれば今にも折れてしまいそうだし、言葉でコミュニケーションを図るのが難しく、泣いたと思ったら数分後にはにこにこ笑っているという意思疎通の難しさも相まって「どうしていいかわかんない」存在だった。

 

昨年、そんな私が小児科に配属になってしまった。これから毎日あの不思議な存在と関わっていかなければならないと思うと不安で堪らず、母に電話したのを覚えている。母は「子供なんてねぇ、ぎゃーって泣いたらころころ転がしとけば泣きやむもんよ。あんたなんか毎回そうだったわよ、あはは」なんて言っていた。…やっぱりお母さんに相談するのは間違いだったのかもしれない…と反省した瞬間だった。

 

小児科に入院する子供というのはたいてい最初から泣いている。笑いかけてもぎゃー、抱っこしてもぎゃーである。もうだんだん自分が泣きたくなってくる。付き添いのお母さんに「頑張ってくださいね」などと言われると、申し訳なさでいたたまれなくなる。でもさすがに転がすわけにもいかない。

確かに、病院というのは子供にとっては初めてのことだらけで、不安でいっぱいだと思う。

ついこの間お腹の中から外の世界に出てきて、こんにちははじめましてを済ませたところだというのに、いきなりマスクをつけた白づくめの大人に囲まれ、鼻に管をいれられたりお尻から薬を入れられたり、針を刺されたりするのである。そりゃあ泣きたくもなるだろう。

 

けれどそんな泣いてばかりだった子供たちも、ごくたまに笑ってくれる瞬間というのがある。一番人気は聴診器だった。聴診器の丸い形、光が反射するところが堪らないらしい、触らせたり太陽の光に当ててピカピカさせると、嬉しそうにきゃっきゃと笑っていた。

熱が下がってきたり、ご飯がもりもり食べれるようになると機嫌も良くなる。ときにはお母さんの腕から離れ、自分から抱きついてくれたりもして「このまま持ち帰れたら…」と一瞬よからぬ企みがよぎる程可愛いらしい瞬間もある。

 

子供はとても弱い、そして強い。

保育器の中で眠る何百グラムという小ささの女の子が、その小さな小さな手を伸ばして私の小指をきゅっと握った時

命の重さを感じるとともに、ただ無条件に、この子を守らなければと思った。

 

子供が嫌いだった私は、いつしか、子供たちが笑顔で過ごすために何ができるかを常に考えるようになった。そして日々目にする泣き顔が、以前よりも更に強く胸を締め付けるようになった。

子供好きが小児科を避ける理由がなんとなくわかるようになったとき、あぁ自分は子供が好きになっているのだと気付いた。

 

出会いというのは不思議だなと思う。

触れるのさえ怖かった存在を、いまやこんなにも尊く愛しく、守りたいと思える。

配属当初、不安でどきどきしていた自分が不思議なほどである。今となっては、小児科に配属してくれた上司にも感謝の気持ちでいっぱいである。

 

現在は別の部署で働いているが、ふと小児科にいた時のことを思い出す瞬間がある。

 

きっと今日も、子供たちは元気に泣き、笑っているだろう。触れた小さな手の感触を思い出しながら、いつかまたあの場所で働きたいと思っている。

 


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