ありをりはべり

日常のひきこもごも

名前

私は自分の名前が好きだ。短くて覚えやすく、既存のあれこれに繋げやすく、小さいときは、よくへんなあだ名をつけられてからかわれていた。それはときに食器であり、チンする前にかぶせるものであり、生理用品であったりする。公の場で呼ばれると三番目が一番とまどう。
そういえば祖母は、当時あまりいない名前だったので、学校で虐められないかと心配して小学校の入学式の日にうちに電話をかけてきたらしい。


出会うおじいちゃんやおばあちゃんが「最近の子は珍しい名前がおおいねー、頑張って覚えようね~」とかいってメモしてくれるとちょっと嬉しい。そんなに多くはない名前だからこその展開があって、それが少し楽しみであったりする。

名前は、その人と人生を共にしてきたパートナーだと思う。
産まれて、名前をつけられて、社会のひとつになる。

なので初めて会うひとに名前を訪ねるとき、私はすこしばかり緊張する。その人がその人の人生ぶん寄り添ってきたものと、初めて対面する瞬間である。そして、私が生きてきた年月ぶんの恥ずかしさや嬉しさ、苦しさを共にした相棒を紹介する瞬間だ。

そんなわたしは、ちかしい過去に
「名前なんてどうでもいい」
という人と付き合ったことがある。
その人は初対面のとき、自分の名を名乗らず、また私の名も聞かなかった。
私が名前を訪ねたとき、嫌いだと話していた彼の父の名前を答えた。結局付き合っている間も、私は彼を本名で呼ぶことはなかった。ちゃんと名前で呼びたい、と伝えたとき、どうでもいいことだろうと返されたとき

もうそこで色々なものが止まってしまった気がした。


昨日バーで隣の席に座っていた女性がこんなことをいっていた。
「ダメ男、という言葉があるけど、それはただ自分がこうあってほしいという勝手な思いに、その人が当てはまらなかっただけ。色々揃わないところはあるのよね、それはなにが悪いとかだめとかではなくて。その人がただ、そういう星に生まれたということよ」

名前なんてどうでもいいんだ、といわれてから、
私は彼に自分の名前を呼ばれるたびに寂しい気持ちになっていた。
彼が友人をゴミというあだ名で呼ぶとき、何故か自分が傷つけられているような気持ちになった。

しかしたしかにバーの女性の言葉を借りれば
そもそも生まれたところが違ったのかもしれない。

そんな二人が出会って、なんだか好きだなという気持ちをもって、お付き合いしたという偶然だか奇跡だかに
、むしろ感謝しなければならないのかもしれない。


、、今日は昨日の騒がしさ(主に仕事の)から解放されておだやかな日だった。
最近お世話になっているコーヒー屋さんの席で本を読んでいると、数メートル先で、初めて顔をあわせるのであろう二人が、互いの名前を訪ねていた。

ーお名前は?

その質問がとてもあたたかいものに思える自分を、私は失いたくないと思う。



そして

いろいろな星のひとにであうであろう未来を、心待ちにしながら

今度、大事にしたいしされたいと思う人は
できれば名前を大切にする星のひとがいいなあと思ったのだった。



中山うり/『時々ドキドキ』 PV - YouTube



*今日のうれしかったこと

・ずっと使いたかったばあちゃんの形見のベルトをして、お出かけできたこと。ベルトに合う素敵なワンピースに出会えたことにも感謝。
・コーヒー屋さんのお兄さんに小林賢太郎の本を読ませてもらったこと!
けんたろうさん、こりゃあもてるよねぇ…という気持ちになった素敵時間でした、ありがとうございました^^
地図も大切にします。