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ありをりはべり

日常のひきこもごも

ごらん新世界のようさ

 


所沢高校文化祭2012 キリンジ-エイリアンズ 弾き語り

 

すぐ忘れてしまうので記録として。

ひさびさにyoutubeを徘徊していたら、凄い17歳(現在21歳)がいたことを知りました。

 

関連動画ででてきた、たなかりかさんのカバーも素晴らしい。

 


エイリアンズ / たなかりか

 

erinaさんのカバーは背景夕焼けイメージの、切なさいっぱいな印象だけれど。たなかりかさんは色っぽくてドラマチック。聴いてたら飲みに行きたくなってしまった…

 

 

 

 

拝啓、

 

 

3か月ほど前から、文通を始めている。

千葉、宮崎、東京に住む3人の女性と週1回から月1回。それぞれでだいぶ開きはあるものの、お互いの時間の合間でやりとりをしている。

 

文通をやろうと思いたったのは、ある日、棚整理の際に使っていないレターセットがいくつかあるのを発見したからだ。

久しぶりに手紙を書いてみようかと思ったが、送る相手と言えばいとこのお姉さんか両親くらいで。しかも現在はそう定期的にやっているわけでも無いので、こんにちはお久しぶりと突然手紙を送ることは、なんだか気が引けた。

なんなら文通してみるかと。おそらく思い立ったら行動にうつのは早いほうで、棚の整理をしつつ文通相手を募集するサイトに登録し、それから3時間で現在の3人の方と文通をすることになり、その日で3通の手紙を書いた。

 

文通は小学生以来のことで、全く面識のない相手へ手紙を書くという久方ぶりの行為に、だいぶ緊張した。字が汚いのがコンプレックスなのだが、初回はそれに手の震えまで加わり何枚か没にした。おまけに誤字脱字も多いので、これを人に渡すのかというレベルの仕上がりで自分には相当がっかりしてしまった。

好きな字体を選べて、かつ書いてはすぐ消せるパソコンは便利だ、とあらためて思う。けれど、チラシや公共料金のおしらせしか届かなかったポストに、ある日可愛らしい封筒が入っているのを見つけたときには、何とも言えない、すこしこそばいような嬉しさがやってくるので。いろいろ格闘しつつも虜になるのは早かった。

 

文通は某アプリのように、自分のメッセージが相手に届いたということが即座にはわからない。相手からの返事をもってしか、確実に届いたのかを知れない。

それは久しぶりに訪れた感覚で、そこに少々の不安を覚える自分に気付いたとき、いままで随分手元の小さな機械を中心とした生活を送っていたのだと思った。

そして他人から言葉を受け取ることをさも当たり前のように享受してきたけれども、伝えられない、またこちらにも届かないという万が一が存在することを思えば、さまざまな人の手を渡り、海をも超えてきた言葉の重みというものを感じずにはいられない。

ポストを開けた時の喜びは、旅を無事終えて届けられた、そしてあたたかな筆跡の向こうに、見知らぬ、けれどたしかに自分と繋がる誰かがいるという出会いの尊さにあるのだと思う。

 

 

汚い字をさらして、へたくそな文章で、ときどき誤字脱字を見つけてはへこみ、直しを加えながら、私はまた一通手紙を書く。

ばれまいと息を殺していたコンプレックスは、ペンと紙を前にすればすんなり隠れ蓑を引っぺがされてしまって、恥ずかしいことこの上ない。けれどいつかこのいびつな文字や、緊張しているわりに変に力の抜けた独特の筆圧だって、私にしかないものなんだと思える日が来るのかもしれない。

いつか、時間はかかるかもしれないけれど、自分だけにあてられた言葉が存在するしあわせを知ったように、自分の記す言葉も、大切にしていけたらと思う。

 

 

 


17歳女の zazen boys - KIMOCHI 弾き語り

 


17歳女の 東京事変-今夜はから騒ぎ 弾き語り

 

式日

「女の子は、綺麗でいないとね」
普段口下手な祖母が繰り返し口にしたのは、女性にとって、身だしなみを整えることがいかに重要であるかということだった。

当時私は中学生で、友達に教えてもらいやっと眉毛のそり方を覚え始めたとろ。

祖母は私の残念な眉毛をみやっては、まるで捨て猫でもみるような目付きで、ほら座りなさい、やってあげるから。と鏡の前に座らせて、非常に遺憾そうな顔つきながらも私専属の美容部員へ変身してくれた。

そりそりそり。と昔ながらの、やたらと切れ味が良さそうな剃刀を、適度な力加減で優しく扱う。 ぼうぼうのまゆげに注がれる視線は真剣で、それは授業参観日に慣れない化粧を頑張っていた母の目つきによく似ていた。それまで祖母を母と似ていると思ったことはなかったけれど、指先の間から見えるその眼差しに、ああやはり親子なのだと、やけに感動したのを覚えている。
部活帰りに祖母の家に立ち寄ったその日、季節は夏で、網戸の向こうで蝉がけたたましく鳴いていて、まさしくうだるような暑さだった。
エアコンがない祖母の家は、今にも羽が取れてしまいそうな扇風機と、小さくあけた玄関のドアから吹く心もとない風だけで室内の空気を循環させていた。
それなのにいつもきれいにお化粧をしていた祖母は、まったく崩れさせることなくそれを保っていて。最早同じ女なのにそうでないような、ある意味魔女なのかというような気持ちで齢70の祖母を見ていた。

今朝、鏡の前にたったとき、なぜだかふとあの夏の情景が浮かんで、少し可笑しくなった。中学生のときの私もいまの私も、やっぱり眉毛を整えるのが苦手で、もう書くのも面倒だからとほぼはやしっぱなしである。
こんな状態をみたら、祖母はなんていうだろう。ついでに、この秋お嫁にいくんだよと、伝えたら。
なんてことだって、びっくりして。また戸棚の奥から、やたら切れ味のよさそうな剃刀をとってきてくれるだろうか。

とても華奢なのに、波瀾万丈な人生を歩んできた故か力強さすらも感じたあの背中が、瞼の裏に過る。
大切なときには祖母が縫ったあの着物を着ると決めていたから。せめて秋までには、着物に恥じない女性にならなければと、すこしだけ心が引き締まる。

うだるような暑さと、洗面所にぽつんと置かれたピンクの眉毛用剃刀。

蝉のけたたましい鳴き声を聞きながら
もう、この世にはいない祖母と、懐かしいあの家を思い出している。

10年

そのアーティストを知ったのは中学生のときだった。

 

「どこにいるの

窓のそばにいるよ」

 

軽やかなギターの音色をバックに、男女のかけあいで歌われる一曲。恋の歌のようで、友情の歌のようで、どこか切なくもあたたかい。

思春期まっただなかで、自分が何者かもちゅうぶんらりんだった私のとって、その曲はくるしいときの支えでもあった。

のちのち歌い手の二人は夫婦となり、子供も生まれ、家族になった。学生のときも、就職してからも、息抜きにはやはりそのアーティストの曲をよく聞いていた。

地元にいるときからずっと、ライブを生で見たいと熱望していたけれど、先日やっと夢が叶い、彼らがコンサートをするという某劇場へと足を運んだ。

 

端的に、正直に言うと、とても悲しい結果になってしまった、と思う。

 

音源で聞く声と実際の声の透明度は格段に違い、声や音が、ときに空気をつんざくようにも感じられて

胸が冷え冷えとしてしまった。

大好きだったあの曲になったときには、更に沈んでしまった。

否、期待に心が熱くなっていたからこそ余計にそう感じられたのかもしれない。

 

帰りはもう頭の中も整理できず、だからとりあえずこの10年というものを振り返っていた。

私が中学生から20代なかばになるまでに、いろいろな変化があったように。きっと彼らにも彼らの変化があった。

 

 

それは久しぶりに会った同級生が、真逆の姿で目の前に現れたときと感覚が似ていて。音楽を聞いて悲しくなる、という経験は初めてで、やはりやりきれないけれども。

 

 

それでも私は彼らが好きだった。

それだけは嘘偽りなく、ほんとうのことだった。

 

もう生で会うことはないのだなぁ、と帰り道確信のように思ったのも、これが初めてのことだった。

子供のくせに

子供のくせに、と言われることが、子供のころは本当にいやだった。
あらゆる失態の原因や大人の言う不都合な事実を、年齢を根拠に言われてしまう。
幼い私は、自分は幾つだからまだ不十分なのだ、と思うことに非常に憤りがあった。

やっと、ちょっとは大人を名乗ってもいいくらいの年齢になって。
果たして、あの頃の自分は本当に、大人が言うような力ない、理解の足らない人間であったのだろうかと考えてみる。

子供はたしかに、大人のように言葉を使えない。だがだからこそ、言葉の端々にある温度の変化、語尾に含まれる鋭さには敏感だ。

あるときは一瞬の表情でそれを読み取る。

自分がいま、なにをされ、なにを言われているのか。もやもやとしていて形には表せられなくても、思い起こせば、いま言葉に直すと当時も案外それに近いものを感じていたのだ。




当時小さな子供であった私にとって、大人は壁だった。

子供の癖に、と
何年も先にある「大人」という表札を頭上で掲げられて
もうそこからは何も言えなくなってしまう。

先月またひとつ年を取った私は
私と、私の友人たちを笑ったそのひとの年齢をとうに過ぎた。そして思う。

月日は、それだけでは何も意味をなさない。

限られた手段を手に、人一人に向き合おうとするその目をはね除けてはいけない。

むしろ無用な壁を作らず、表札を掲げず、自分の答えを待つ誰かがいる。その尊さを知らなければならない。

いつのまにか、コミュニケーションに利害を織り交ぜるようになってしまった自分自身も、戒めなければならないだろう。


小さい頃
子供の癖に、と言われることが嫌だった。


果たして彼らはいま
大人の癖にと言われれば、何を思うのだろうか。

遠い日は二度と帰らない

 

音楽においては、スタート(幼少期)こそ忌野清志郎ツェッペリンだったが、その後は普通に邦楽ロックなどを聴いていた。休みを取ってはフェスに行っていたし、ライブハウスで飛んだり跳ねたりヘッドバンキングするのが好きだった。だった、といってもほんの二年前までそうだったので、最近ともいえるが。しかし思えばだいぶ早い時期から「自分はこれじゃない」感じにうすうすは気づきはじめていた。

 

ライブで仲良くなった人にはアーティストのファンクラブに入会しているひとも少なからずおり、勧められてはいたけれど。

すぐに売れてしまうチケットを取るために、朝いちばんにコンビニに走ったりすることが億劫になっていた頃にはもう、もはやファンクラブに入るなんてどこぞの話だった。

 

自然と同年代のひとたちが聞いている音楽から遠のいて、最後にヘッドバンキングしたんのはたぶん、一昨年の夏とかではないだろうか。

こぶしを突き上げたりぴょんぴょん跳ねたり、そういうのも楽しかったけれど。

後半はもう、音楽をちゃんと聴いていたかというとそうではなかったかもしれない。

 

今現在聴いている音楽といえば渚ゆうこや霧島昇、そして寺尾沙穂といったかんじ。昭和のにおいぷんぷん、若しくはふわっとしつつ鋭い言葉に刺されるような、そんな音楽だ。

ぬくさや冷たさがしずかに侵食してくるかんじが良い。

昭和、平成、昭和ときて、次はどこにゆくだろう。否、年代のくくりでどうこうではないのか。ただ、兎にも角にも、京都に行きたい。

 


京都慕情 - 渚ゆう子

 

 

夕日とカレーライス

 

いつのまにだか、料理は私で、洗濯物は彼の担当と暗黙のルールができている。

けれど私の仕事が忙しいときは、毎度しっかりごはんが作れるわけではない。その日もやはり私は残業確定で、昼頃には帰る予定が夕ごろになりそうだった。

連絡すると、俺だって料理が全くできないわけではないから、たまにはお願いしてくれと言われたから、カレーの材料のじゃがいもとにんじんの皮むきをしておいてと頼んでみた。

 

疲労困憊で帰宅し、早速キッチンに行きまな板の上を見れば、ところどころ皮が残ったままのいびつな形のじゃがいもと、にんじんがひとつずつ。

 

ぽかんとする私に、おろおろする彼がいて、ダメだった?と聞く。

こらえきれずに笑って、これじゃあ少し足りないかもねと言ったとき、むくれてみせるものだから、また笑ってしまった。

 

テレビからは夕方のニュースが流れていて、明日は雨だと伝えている。窓の外は美しい茜色だけれど、これは前兆なのか。

テレビ画面の雨マークを見遣っても、空がきれいだねぇとそれだけ言葉を交わす。

自分なりに一生懸命やってみたのに笑われた彼は、まだ若干不服そう。

 

一口サイズになった、元いびつな形のじゃがいもがぷかぷか浮かぶカレーは、いつもより少しだけおいしい気がした。きっとそれは、終始笑って食べていたから。

 

足りないものはあって当たり前で、それでも互いに少しずつ空いた穴を埋めて、どうにもならないときにはまた考えれば良い。

家に帰れば貴方がいて、じゃがいもの皮むきもうまくはない、不器用なその手で、私の頭をくしゃくしゃと撫でる。そんな日々を、これからも紡いで行けたら。

 

夕日が薄い綿のような雲に沈んで、東のほうから藍色が滲み出す。

数種類のスパイスと、たまねぎの甘さがほわりと香る夕食の席。消えゆく間際の橙と檸檬色を見つめて、カレーライスと夕日は似ていると、ぼんやりと思った。

 

 


夕まぐれ 寺尾紗穂